【Steve’s Bar連載第11回】【はにかんで生きる数寄者のまなざし】(後篇)
Interviewed by Steve Moriyama
―― 本日は「書斎」をご案内いただけるというので、どういう場所かな、と想像をめぐらせて参りましたが、まさか都心のど真ん中にこのような趣のあるお屋敷があるとは想像もしておりませんでした。
潮田氏: ここは戦前から続く老舗料亭の建物です。何年か前に別の場所に移転するというので譲ってもらい、わたしの書斎に改築しました。東京の本社に近いので、時々ここにいます。そこに掛けてある書軸は、梅原龍三郎画伯がキャンバスではなく、和紙に書いたものです。薔薇の絵に「今日風日好」と書いてあります。わたしはこれを見ると、頼山陽の読書八首と題する詩の中の一節を思い浮かべるのです。
「今朝風日佳、北窓、新雨過ぐ。客を謝して吾が帙を開くに、山妻の来りて叙ぶるあり。禄無ければ須らく衆に眷せらるべし。八口豈独り処せんや。・・・願くば少しくその鋭を退けて、応接に媚嫵を雑へよ。・・・去れ、我にかまびすしくする勿れ、方に古人と語らんに」
頼山陽は好きな読書を時に妻に邪魔されたようです。自宅と会社の中間にわたしが書斎を構えたのは、そのためです。気持ちのよい日は、世事を忘れて書斎で古典を読んで過ごしたいのです。清朝の文人袁枚は、紅楼夢の舞台といわれたその邸宅随園で、古書を持って庭の小川の畔に腰掛け、終日読書を楽しむ詩を作っています。昔の人々の肉声が聞こえる程に古典に親しむなんて、最高の時間ではないでしょうか。そんなことを夢見て、古い料亭を改装しました。
―― 実に優雅で素敵です。おっと、これはプロ向けのコンサートグランドピアノですよね、まさかご自分でお弾きになるのですか。
潮田氏: ええ、ベーゼンドルファー製です。さっきまで、声楽家をここに呼んでクラシック歌曲のボイストレーニングをしていました。
―― 経営者としてお忙しい毎日のなか、中国文人の素晴らしい書画に囲まれて読書をし、ピアノを弾き、クラシック音楽を歌われるというのは、つかの間の安堵感をもたらしてくれるのでしょうね。
潮田氏:フランソワ・ヌーデルマンの「ピアノを弾く哲学者」という本があって、サルトル、ニーチェ、バルトのエピソードを紹介しています。サルトルは男性との哲学論議が大嫌いで、親しい女性たちの部屋で下手なピアノを弾くのが最高に寛げる至福の時間だったそうです。
ここは、読書だけでなく、学者や好事家たちと書画をめぐって、茶器や酒盃を片手にああだこうだと論議する場所でもあるのです。例えば、ヤフー創業者のジェリー・ヤンも中国書画のコレクターで、ここに茶を飲みに来たことがあります。
―― なるほど、この書画を見に世界中のコレクター達がやってくる、いわばサロンなのですね。どれも素晴らしい作品ですが、中国というと昔から贋作も少なくなかったと思うのですが、いかに有名なオークショネアや学者であっても見誤るということはないのでしょうか。
潮田氏:ここにあるものは主に明末のものですから、研究し尽くされていて安心できますが、宋ぐらいになると確かにグレーな作品は存在します。そういう時、有名オークショネアの専門家は「ニセモノの可能性あり」とは言いませんが、「ベリーレア」(非常に稀)という表現を使うので、そういうときは買わないようにします(笑)。
―― なるほど、「贋作の可能性を排除できない」というイギリス的婉曲表現ですね。veryという言葉は曲者ですよね。それにしても、プロ顔負けなほど東洋美術にお詳しいのですが、一時期、経営の第一線から身を引かれ大学院に戻られて、こういったことを研究されていたのでしょうか。
潮田氏: 大学院では美術史も学びましたが、一番興味があったのは「明治維新以前はどんな社会だったのだろう」という点です。実はわたし、後ろ向きの学問が大好きなんですよ。
―― 「後ろ向きの学問」とは面白い表現ですね。
潮田氏:なんとなく産業社会はもうすぐ終わると感じていて、前を見ても将来のことはわからないので、後ろを見てみようと思ったのです。産業革命以前は、人は今年や来年の収入さえ読めなかった。産業社会になって、月給取りの会社員が大量に生まれ、今年どころか20年先の収入イメージさえ持てるようになった。では、それまでの予測可能性の限定された社会が不幸だったのかというと、必ずしもそうではなかったんじゃないだろうかと、漠然と感じています。
漱石は『現代日本の開化』という講演で、日本では内発的に充実してオーガニックに産業が発展したのではなく、外発的に開化したのだから、涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならないと言っています。旧幕時代は不便だったが、幸せだったとえす。日本が列強に認められた明治の終わりに漱石が感じたことは、ある意味で、そのまま現在の日本にも当てはまるんじゃないでしょうかね。今の日本も物は飽和し、失われた20年を経て海外に活路を求めざるを得なくなった。上滑りでも何でも、グローバル化をつきつけられているわけですから。
―― 確かにリーマン危機以降、世界的に資本主義の限界についての論調が増えてきてますし、日本経済の節々にも危険な兆候が見え隠れしています。
潮田氏:日本のオールド・ワイズメンの一人に見田宗介という人がいます。わたしが学生の頃も駒場で教えていた方で、おそらく日本の誇る数少ない知の巨人ですが、ずいぶん前から成長の限界について説いています。例えば、時々バッタの異常発生が起きますよね。生物って、生存に適した環境にいると、ある時点から爆発的に数が増えます。ところが、環境の限界に近づくと増殖スピードが急に落ちて安定期に入ります。バッタの例でいえば、草原を食べつくした後に、一気に数が減るのです。資源に限りのある地球という星に生きる人類も同じではないか、と見田先生はおっしゃいます。人類は19世紀までは微増を続けてきたのに、20世紀、特に60年代に人口が爆発的に増えました。そして、今、日本や欧州等では少子化が問題になっています。
―― 20世紀に勃興した資本主義経済が終わる兆候を見せているということですね。
潮田氏 「人類の歴史の大きな曲がり角」という表現を使って、資本主義が終わった後に来る社会はどんなものかについて見田先生はお考えを展開されています。現代社会のひずみについて、漱石のいう「上滑りに滑っている」を見田先生なりの言葉で表現しているように感じられます。いずれにせよ、長い長い人間の歴史の中で 産業革命以降の都市の生活はほんのわずかな時間に過ぎず、そもそも人間には向いてないんじゃないか、という問題提起は説得力があります。見田先生の研究テーマの一つに、カルロス・カスタネダという社会学者がありましたが、例えば『呪術師と私』という本があって、バークレイの人類学者がメキシコにいって土着のインディアンと対話する話なのですが、「お前ら、お昼になるとお腹が空いてなくても食べるのはおかしくないか?」とインディアンから問いかけられるわけです。
―― 今のお話で思い出しましたが、20年ぐらい前に、社内の研修会で聞いた話がずっと自分の中でひっかかっていて、原典をずっと探していたのですが、もしかするとカスタネダかもしれませんね。カスタネダはペルー系のようですが、その話も南米か中米の話でこんな話でした。以下は、日本人読者にわかりやすいように日本の地名に変えてみました。
(以下開始)
奄美大島で休暇中のビジネスマンが、浜辺で寝転んで 穏やかな大海原を眺めていた。しばらくすると、釣ったばかりのマグロを何匹か乗せた小船が突堤に着き、一人の漁師が船からおりてきた。
「たくさん釣れましたね。釣るのにどのくらい時間がかかりましたか?」
「いやー、時間なんてたいしてかかってませんよ」
「なぜもっと時間をかけて、もっとマグロを釣らなかったのですか?」
「家族には、これだけあれば十分ですから。。。」
「そうですか。ところで、一日をどうやって過ごしているんですか?」
「ゆっくり起きて、ちょっと釣りをして、子供たちと遊んで、昼食をとって、昼寝して、晩になると友達とお酒を飲みながら歌っています。楽しく充実した毎日をおくっています」
「多分私はあなたのお力になれそうです」 ビジネスマンは得意気にいった。
「私はハーバードのMBAをもってましてね」
「MBA?なんのことですか?」
「まあ、いいです。あなたをもっと幸せにするアドバイスをさせてください。いいですか、先ず、もっとマグロ漁に時間を割きましょう。もっと大きな船を買うためにお金が必要です。もっとキャッシュをためて、借入の頭金にして何艘かの中型船を買うのです。そのうち、一隻の大型船を購入できればしめたものです。魚は中間卸売業者は通さずに、加工業者に直接卸しましょう。最終的には、自分で缶詰加工工場を作ってしまいましょう。そうすると、商品、生産、販売をすべてコントロールできます」
「そうすると、どうなるんですか?」
「良い質問です。この小さな島を出て、那覇に進出できるでしょう。さらに福岡、そして会社がもっと大きくなれば大阪や東京にだって進出できるでしょう」
「すいません、でも、そこまでいくにはどのくらいの時間がかかるんですか?」
「10年。いや、20年ぐらいかかるかもしれません」
「それで、その後はどうなるんですか?」
「まさに ここからが、この計画の醍醐味なんです」 ビジネスマンは微笑んだ。
「タイミングさえ良ければ、会社を公開できます。何十億円も手に入ります」
「何十億円もですか。。。で、その後はどうなるんでしょう?」
「そうですね、そうしたら引退して、田舎に帰れるでしょう。小さな海辺の村に住んで、ゆっくり起きて、ちょっと釣りをして、子供たちと遊んで、昼食をとって、昼寝して、毎晩、村に行って友達とお酒を飲みながら歌ったりできるようになります」
(以上終了)
潮田氏 なるほど。努力して立身出世しても、得られる果実は本当は足元にあるんだ、というお話ですね。中国の民窯の絵付けによくある、漁樵問答。努力して科挙に及第し、役人となって栄達しても、宮仕えは気が休まる間がない。しかし、漁師や樵はそんな気遣いがいらない。羨ましい、というお話。
そういえば、この前スティーブに茅山荘で紹介した藤田一照さん(曹洞宗僧侶)と三田先生の対談も面白かったです。さっきの漁師の話は「人は持っているものを失うまいとして、掌からこぼれ落ちないように指を握りしめて生きている。でも、指の力を緩めてみると、わかることがある。宇宙全体が自分のものだって」という藤田一照さんの話にも通じますね。
―― 一照さんのあのお言葉、素敵ですよね。僕も相当気に入って、どういう背景であの言葉が頭に浮かんだのか直接伺ってみたのですが、道元の「はなてばてにみてり、一多のきはならむや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし」(正法眼蔵 弁道話)にインスパイアされたそうです。
潮田氏 彼はね、学生時代に見田先生の授業をとっていたみたいです。恩師を連れてここに来たこともあって、その時、見田先生は「幸福感受性」ということをしきりにおっしゃってましたね。特に日本人は幸福感受性が衰えているのではないか、と。見田先生も一照さんも、我々が当たり前と思っていることが、実はまったく当たり前ではない、ということを熟知されています。都市生活というのはある種の畸形であり、人間にとって不自然な環境だと感じているのでしょう。アメリカ人にもそういうことに気づいている人はいて、例えば、オラクル創業者のラリー・エリソンの家に招かれたことがあるのですが、「平安神宮神苑にインスパイアされた」とか「曽祖父の時代と現代の違い」などについて彼は力説していました。
―― アメリカ人、それもシリコンバレーの人たちは、「もっと、もっと」の思想に取り憑かれているのかと思っていましたが、エリソン氏ぐらいまでいくと違うのでしょうね。
ところで、日本語でなんというのかわからないのですが、pluralistic ignoranceという言葉があります。一言でいうと「本当は誰も信じていない。だけど、みんな信じているに違いない、とみんなが思っている状態」ですが、今の日本の状態って、まさにこの状態じゃないかと思うんです。日本がかつてのような成長ができるなんて誰も思っていない。だけど、みんな“成長戦略”とかいう言葉を使って「成長しなければ」という「べき論」に囚われているように見受けられます。成長には人口増加と生産性向上が不可欠ですが、日本の移民政策についてどうお考えですか。
潮田氏: 日本はロストディケードにあっても、一人当たりの経済指標は欧米に劣ってはいなかった。しかし、労働人口の減少だけは如何ともしがたい。高齢化や人口減少という大波には、経済は抗し得ない。では、移民を受け容れるか。日本はずっとクローズドな社会をつくってきたでしょ。平安時代にはすでに大宰府で毎年の移民数をコントロールしていた。でも、もっとオープンにするチャンスはあったんです。それは、敗戦後に英語公用語化の議論が起きた時でした。しかし、国際化のチャンスよりも同質の居心地良さを選択した。日本は大国ですから、国内だけでいくらでもチャンスがあったのに、今はそうではない。もちろん、移民は部分的には入ると思いますが、言葉の壁が大きすぎてそうならないんじゃないでしょうか。人口の75%が華人だったのに、公用語を英語に決めたシンガポールの50年前の決断が、一人当たりGDPで日本を追い抜く国際国家を作ったのと対照的です。
―― なるほど。一方で、僕自身30年近く日本を留守にしていて一番感じるのは、コンビニや食堂の従業員に中国系が著しく増えたな、という点です。これは中央区とか港区のことだけなのかもしれませんし、学生ビザの人たちなのかもしれませんが、少なくとも僕が日本にいたころは、中国系店員は皆無に近かったと思います。
それから、これは何年か前のことですが、北京のベンチャーキャピタリストの友人から連絡があり、「これ見てみろよ」というのでメールしてきたリンク先を見てみると、日本の外務省のサイトで、経済力など一定の条件を満たす中国人観光客は沖縄に1泊するとその後3年間にわたって数次ビザが発給されるというものでした。当時はまったく日本のメディアで報道されていませんでしたが、彼は「これから日本への中国人観光客や長期滞在者が増えるぞ。ビジネスチャンスだからなんかやろう」と言ってきたのです。結果的に、彼の言うとおりになり、「爆買」という表現が定着するほどになっています。ちなみに、今では沖縄のみならず東北に滞在した場合も、この規定は適用されるようですが、どれほど知られているのでしょうか。
つまり、国家レベルでは中国人移民を増やそうとしているのではないかとも感じられるわけです。とは言え、おっしゃるように日本の人たちのゼノフォビア(外国人苦手意識)はいまだに強いものがあり、特に中韓の人たちへの感情は、歴史やら政府間の問題やら相当複雑ですので、移民政策は一筋縄にはいかないでしょう。それに加え、そもそも論として、「人口を増やして成長し続けるべきか否か」という先ほどの見田先生の論点もありますし。。。
潮田氏: 経済成長は、労働人口と生産性とで決まりますが、巨大な人口減少を相殺できるほどの生産性向上は不可能に近い。経済は縮小します。売上が減り続ける中で、安定的に利益を上げられる企業はない。事業を多国籍化するしか、企業存続の道はないのだと思います。この前、香港でDHLの共同創業者と会ったのですが、アメリカと中国と、そして日本は「最後までグローバル化しないんじゃないか」ということを言ってました。とにかく国内市場が大きいので、小国のような切迫感がない。
アメリカって、住生活や食生活に関して、ものすごく保守的でしょ。移民は入れてるけれど、文化の根本的なところは非常にコンサバです。海外に頼らずに自活できてしまうのです。アメリカも日本もそして中国も、その意味では同じで、グローバル化せずにシュリンクしてしまうのではないかという話でした。
―― たしかに変革しなければ衰退と背中合わせの小国と比べると、危機意識の観点でそういう側面はありますよね。そうすると、さっきの見田先生のお話のように、成長の反対というか、どんどんシュリンクすること、あるいは成長しないことで幸福感受性が増えていくのでしょうか。
潮田氏:経済成長と幸福感に因果関係があるかどうかはわかりません。2018年の国連調査で各国国民の幸福度比較が話題になりましたが、日本は世界で54位。経済は世界3位で、一人当たりにしても25位(IMF・2017)なのに、これは衝撃的な幸福感覚の低さです。
つまり、所得と幸福感覚はリンクしていないわけです。でも、それって納得もできます。2日間絶食して食べる一枚のビスケットがもたらす満足感は、満腹時のキャビアを数段上回るでしょう。3年前の夏休みに、ある韓国大手財閥オーナーから、北モンゴルでのイトウ釣りや狩猟に誘われました。トイレも無い自然の中で、「わたしはソウルでなに不自由なく暮らしています。でもそれは豪華な鳥籠の中にいるのと同じです。大自然には敵わない。」と彼は語っていました。サマーキャンプは、幸福感受性を取り戻すための、彼にとっての年中行事でした。
―― おっしゃる意味、少しですがわかります。奇遇ですが、あるご縁で5年前の夏に内蒙古の大草原にあるゲルに泊まりました。同じくトイレはもちろん、何もなかったのですが、大自然の神々しい美しさには息をのみました。それで急に思い出しましたが、こんな寓話を耳にしたことがあります:
(以下開始)
・・・総資産1兆円以上という紳士が、息子を連れて貧しい農村を訪れた。自分たちがどれだけ恵まれているか、どれだけ幸せかについて、息子に“気づき”を与えようとしたのだ。数日間現地で過ごした後、帰り道で父親は息子に問いかけた。
「この旅でどんな気づきがあったかい?」
「うん、とても勉強になったよ」
「そっか。具体的には?」
「うちには犬が1匹いるけど、あの人たちは5匹も飼ってたね。うちにはプールがあるけど、あそこにはいくつもの川があったよ。うちの庭には外国から取り寄せたランプがあるけど、あそこには満点の星空があってランプなんていらかったよね。うちは壁に囲まれて鍵をかけるけど、あそこには壁もドアもなくて、水平線が見えたよ。鍵なんてかけないから、いつでも友達を迎えられるんだ。うちでは携帯ゲームをするけど、あの人たちは自然のなかで遊んでいた。うちではCDで音楽を聴くけど、あそこでは自然の音を聞いているだけで気持ちよかったよ。お父さん、ありがとう。僕たちがどれだけ貧しい暮らしをしてるのかに気づくことができたよ」
(以上終了)
潮田氏: 藤田和尚のいう、持たない豊かさですね。わたしがそれを語っても説得力ありませんが、実際にマサチューセッツ時代に自給自足暮らしをしていた一照さんを訪ねた時は、何もないことの素晴らしささが少しわかりました。
―― そうでしたか。ところで、この寓話で「鍵をする必要がない豊かさ」について触れていますが、日本でも比較的最近まで鍵をしない家は多かったですよね。その意味で、日本という国は高度な文明を築き上げていたわけです。それが今では人間不信でいっぱいで崩れてしまっています。大多数の人たちは「もっと、もっと」(More with more)の発想に囚われてしまっていて、かつての日本には多数いた、この寓話にでてくる少年のようなストリートスマートで「観」をもった人が少なくなってしまいました。アングロサクソン型の所有欲が諸悪の源だったのでしょうか。東洋的には、所有は依存につながり、依存は退廃と背中合わせ、ということになりますが。。。
潮田氏:先日、欧米のビジネススクールで教鞭をとっていた日本人で、すべてを辞して国内の寒村でコミュニティの再生のためのワークショップをしているという人物と面談しました。ポスト資本主義の世の中が近いことを感じていて、持続が不可能になった成長はもう諦めて、もっと身近な充実の中で生計を立てようではないかという考えでした。彼はシンガポールでも勤務経験があって、彼の感覚は一般とは正反対でした。シンガポールが国際間競争に勝ち残る戦略で成功し続けても、本当に豊かな国と言えるのか。繁栄は砂上の楼閣ではないのか。それよりは、身の丈の暮らしの方がまともだと。
個人的には共感はしますが、会社をガバナンスする立場では、たとえ将来の成長がアフリカで終わるとしても、最後まで残って経営をする義務があります。船橋さんの財団で出した『人口蒸発』という本によると、今世紀末の日本の人口は100年前と同じ5千万人になってしまうそうです。それは歯止めのかからない減少で、国が維持できなくなることが詳しく論じられています。松谷さんの『東京劣化』も同様の論点でしたが、それらの本に書かれていた解の実現可能性は議論が分かれるところで、答えは誰にもわかりません。しかし、ネガティブな想定の下に経営して、結局何事もなければ、それはそれで良かったと言えます。逆に楽観を前提として結果が違ったら、会社は潰れます。
ところで、またお茶の話に戻りますが、先ほどご紹介いただいた拙著『数寄語り』のなかで、一照さんにもご登場いただき「なぜ茶はお寺と親和性が高いのか?」という点について聞いてみました。人間って今現在を生きているのに、未来を案じて、過去を悔いて、実際にはかけがえのない今を意識しないで死んでしまう。それに対して、お茶って、客人の前でお茶を点てておもてなしすると、主客ともにそれに集中するから必ず this moment (今、この瞬間)が肌で感じられるわけです。ある意味、今現在をマインドフルに生きるための一つの工夫といえるのではないでしょうか。
―― 「かけがえのない今」を感じる、良い言葉です。
潮田氏: 僧堂での日課の中で、お茶が一つのリズムになっているようです。一方で、茶の湯というのは、そもそも将軍家や大名家とか豪商とかごく限られた人たちの道楽の極みだったのです。利休にしてもプロの茶人はあくまで黒子だったわけです。プロを宗匠と言いますが、主役は旦那衆でした。川端康成が「千羽鶴」で嘆いたように、戦後になってお茶は俗化してしまい、今やお茶会にいくと女性ばかりですが、もともとは少数の男性中心の世界だったのです。
ところが、明治維新で宗匠たちは禄を失い、戦後は財産税で新たなパトロンも失いました。富国強兵に邁進したかった国としては、茶は「国家に益なき遊芸」だったので、明治政府は宗匠たちに「遊芸稼ぎ人」鑑札を与えた。これは寄席芸人や新内流しと同列です。危機感を抱いて「茶道の源意」という口上書を三千家連名で知事宛に提出しました。茶は遊芸ではなく、儒教道徳実践の道だと強弁したわけです。それが皮肉にも女性に茶の湯の門戸を開くきっかけになったのではないかと想像しています。ドラマ「おしん」ではないですが、戦前の庶民女性は、遊芸など思いもよらぬことでしたが、茶の湯は遊びではなくて修養であり、花嫁の教養の一つだという名目で、女性は労苦からひと時解放され、豊かな時間を持つことができたわけです。そういう下地があったからこそ、戦後の高度成長で大衆が豊かになると同時に、茶の湯は女性の間で爆発的にヒットしたのではないでしょうか。
―― ポジショニングに成功したのですね。ところで、U先生はお茶のどこに一番惹かれたのですか。
潮田氏: 物と空間の洗練の極みです。最近わかってきたのですが、利休の時代に完成したフォーマットは完璧なのです。昔、倉俣史朗という天才デザイナーがいて、彼にお茶室の設計を依頼したんですが、「できない。どうやっても利休には勝てない」と言ってましてね。畳を使えば利休以上にできない。畳を使わなければ、フォーマットと違うから茶室にならない。彼が感じていたことを、わたしは今感じています。利休のフォーマットから少しでも何かを変えようとすると台無しになるのです。それは茶碗ひとつをとっても同じで、どんな名品であっても寸法がちょっと違うだけで合わなくなってしまいます。その意味で、お茶というのは、そのフォーマットを守っている限りは一種の関数の世界で、お稽古道具でも様になる。パラメーターに名品を入れれば入れるほどグレードが上がっていくのです。
―― 具体的にはどういうことでしょうか。
潮田氏: 例えば一席の道具に10万円を使うのもお茶だが、1億円を使ってもまたお茶。しかし、天と地ほどに洗練度が変わるという意味です。
―― あの小さな茶室でそんなにドラマティックに変わるのですか。
潮田氏: 還暦などのお祝いで、昔の人は茶会に今のお金で10億円ぐらい投入してようやく皆から「いいね」といわれるような世界だったようです。逆にいうと、それだけ投入できれば、誰にでもできるとも言えます。
―― つまり、国宝とか重要文化財級の掛軸や茶碗を使うということですよね。さっきの書斎にあった掛軸は貴重なものばかりでしたが、お茶に使えるのでしょうか。
潮田氏: 物としてどれだけ上質で魅力的でも、寸法や空気が茶の湯に合わなければダメです。ああいう強すぎるのは難しいのです。
―― うーむ、深過ぎて素人の僕には難しすぎますが、それでもいろいろ教えていただいて、茶道というのものが究極の総合芸術であることがおぼろげながらわかってきました。
潮田氏: さっきも出てきましたが、岡倉天心の『茶の本』というのがあるでしょ。日本人が封建時代に平和に茶を愉しんでいた頃、西洋人は日本を野蛮国だと言った。富国強兵の果てに満洲の大地を血に染めてから、日本は文明国だと評価した。「日本人はそんなもんではないぞ」と伝えるために、老荘思想の本を書き始めたらお茶の本になってしまったそうです。最初英語で書かれて何十年かしてから和訳がでたのですが、原文に the beautiful foolishness of things という表現がでてきます。岡倉天心と母親をめぐって複雑な関係となった哲学者九鬼周造は、人間とは既に何かを失ってこの世に生を享けていると考えた。欠けているものによって成立する世界。まるで人生のように。岡倉天心は、不完全なものを愛でる文化とか、美をほのめかすユーモアとか言っています。
―― 今の日本にはなくなってしまった価値観ですね。
潮田氏: 凄い美意識の遊びですよね。五感全部でリフレッシュする。昔の人は日没から二時間程度で就寝し、朝は三時ごろから起きていたそうですが、当時、朝会という茶会がありましてね、今は暁の茶事というのですが、未明の三時ごろから始まります。真っ暗の中で、和蝋燭で向かえられ、火鉢で暖をとる。前夜からの埋もれ火を掻き熾して炭を継ぐ。そして湯が沸き、茶を飲む。段々と障子の外が白んできて、やがて朝日の赤い色が障子に差してくる。そのころに味噌汁と飯が給される。一番のご馳走は、未明の寒気と暖のコントラストであり、暗さが徐々に明るくなる光であり、空腹を満たす味噌汁の滋味である。寒さ、暗さ、空腹というネガティブを遊びに転化する。こんなもてなしって、なかなか外国にはないですよね。
―― ないです。お話を伺っているだけで豊かな気持ちになってきます。こういうお話を日本の子供たちが聞いたら、もっと日本文化に興味をもってくれるのではないかとおもうのですが。。。そうそう、岡倉天心の「日本人はそんなもんではないぞ」というお話でで思い出したのですが、400年ぐらい続く家系の友人がいまして、この前彼と飲んでいたら「俺のうちの歴史よりも短い、たかだか240年弱の歴史しかないアメリカに日本文化のことをとやかくいわれたくないね」というので、考えさせられました。彼は見田先生の世界のような “More with Less”な生活をしていますが、もしかすると時代の先端を走っているのかもしれません。
潮田氏: イデオロギーという意味ではキリスト教も同じで、ケンブリッジ大学の宗教学者ドン・キューピットが書いた『未来の宗教-空と光明』という本があって、これも一照さんが訳したのですが、彼は「イギリスでは、少なくとも一定の知的レベルのある人で聖書が歴史的事実であるなんて思っている人はいない。したがって、キリスト教は崩壊した」と書いています。もちろん、自ら「キリスト教的仏教徒」というぐらいですから主流ではないのでしょうが、だからといって真実を述べていないとは言い切れません。興味深いことに、世界主要宗教の中で唯一崩壊していないのは仏教だけだ、とも言っています。なぜなら、天地創造や人間の起源あるいは神について一切触れていないからだ、と。その意味で、もしかすると仏教に唯一の未来の要素があるのではないか、というのが彼の問題提起でした。
―― その本も以前U先生から伺ってすぐに買って読みました。九鬼周造の『「いき」の構造』もそうでしたが、最近読み返しました。宗教といえば、「経営もある意味で宗教だ」という人もいますよね。例えば、京セラの稲盛氏は一時期仏門に入っていますし、JALの改革では全社員に非常にシンプルな行動規範書を常に持ち歩くように命じたといわれています。
潮田氏: 稲盛さんは尊敬する経営者です。以前アメリカの駐日大使夫婦に招かれて、稲盛さんの経営を聞く晩餐会のお相伴をしましたが、大使は熱心に聴き入っていました。アメリカとは違う哲学があるのでしょうね。
でも、本質的に仏教はビジネスとは共存しにくいと思います。聖徳太子のように深く仏教を理解すると、世事の処理はお釈迦様と同じで、できなくなるのではないでしょうか。龍樹の言う「無」という概念は、万物は固有の実体を欠くということです。会社にも自分自身にも固有の実体などない。でも、万物は「インタービーイング」で支えあっている。これはゲーム理論でライバルを出し抜く最適化の発想とは違いますから。
おそらく稲盛さんの思想の根底には「24時間仕事のことを考えろ。考え続けると必ず答えが出る」があると思います。父もそうだったのでよくわかるのですが、創業者が言うことは非常にシンプルで、ともすると古臭く響いたり、宗教に似て聞こえるかもしれませんが、かなり本質的なことを言っているんだと思います。
問題は、その重要性がサラリーマン従業員にはなかなか伝わらない点です。例えば、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さんが「客が来て当然だと社員は思っている。問屋が商品を卸してくれて当然。銀行が金を貸してくれて当然。そんなことはありえない。『ありえない』という気持ちを忘れないのが経営」と言ってましたが、言い得て妙です。
―― 「初心忘るべからず。常に危機意識をもて」ということでしょうか。
潮田氏: ええ、わたし自身、子供のころからいつも「仕事は楽しいが大変だ。まかり間違えば橋の下だよ」と父に聞かされて育ちましたからね(笑)。創業者にとって会社というのは自分そのものなのです。動物のように臆病で、心配性で、いつも意識を研ぎ澄ましている。
―― 長時間ありがとうございました。最後に、今後の展望をお聞かせください。
潮田氏 先ほども述べましたが、長期的には人口減少こそ企業にとって最大の問題といえるでしょう。世界の人口はまだ増えていますが、人口増加率は減少しています。見田先生によれば、二回微分すると負になった。だから、放物線のように世界の人口はやがて減少に転じる、と。どんな経営学も市場の縮小には勝てません。もちろんマクロでは縮んでも、ニッチに一時成長する市場はあるでしょう。しかし、ニッチをサーフィンしても、結局はそれまでです。世界がそうなるには、まだ一世紀ぐらいの間があるでしょうが、日本にはそんな余裕はありません。体力が残っているうちに、事業を多国籍化することです。個人としては、最初に申し上げた袁枚や頼山陽のように、気持ちの良い日は古典をじっくり読むような毎日が訪れることを願っています。
<聞き手:スティーブ・モリヤマ>
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