【Steve’s Bar連載第7回】【未来を良くする果実を求めて】
ゲスト:神戸雄一郎氏(かんべ土地建物株式会社 代表取締役社長)
聞き手:スティーブ・モリヤマ
― 1930年創業のかんべ土地の三代目、神戸雄一郎氏。大井町といえば、かんべ土地というほど品川区では知られていますが、本日は、銀座支店のほうにお伺いして、先行きが読みにくい日本の不動産市場の展望とかんべ土地のこれからについて伺いたいとおもいます。
今回はSteve’s Barの第7回目のゲストとしてお迎えしていますが、ラッキーセブンです。縁起が良いですね(笑)。わたしが子供の頃慣れ親しんだ雰囲気はもはやそこにはなく、アジア言語が飛び交い、異国のような雰囲気になってしまった銀座中央通り。そこに新たなアジアの発信地ができたということで、ワクワクして参りました。
神戸氏 そうですね。スティーブはこの辺の出身でしたね。
―― ええ、こんなに長い間異国にいるのに、この辺にくるとなぜかホッとします。故郷というのは、いくつになっても、人間にとって特別な意味をもつものなのでしょうね。こちらの会場、CHAIRS(チェアーズ)は貴社の新しい試みだそうですね。http://chairs-ginza.jp/
神戸氏 ありがとうございます。「未来を今日よりもっと良くする」覚悟を持った 人の才能や組織の資源を掛け合わせることで、 21世紀型の環境や多様な人々に配慮のある持続可能な ビジネスを生み出す場としてCHAIRSをスタートしました。使い古された「持続可能性」という言葉にもう一度向き合い、「一流」が集う銀座という場所から「本物の持続可能な仕組み」が何かを今一度真剣に考え、社会に発信していきたいのです。このCHAIRSの生み出す「考え」や「関係」が 未来に大きな変化を起こす一歩になると信じています。
―― なるほど、大きなうねりの発信地ですね。素晴らしいです。おっしゃる通り、これからの21世紀の地球は、もはやMore with More(もっと、もっと欲しい)では持続できません。この前、高橋弥次右衛門氏との対談でもお話しましたが、http://onarimon.org/article/513 More with Less(より少ないことで、より幸せになる)という発想で、今ある資源を再利用しながら持続可能性を追求していく必要があります。消費経済、つまり「動脈経済」ではなく、リサイクルを中心とした「静脈産業」という視点が欠かせません。CHAIRSは、21世紀を牽引する「静脈産業」のメッカとして、‘未来をよくする’ために、船出をしたわけですね。
神戸氏 「静脈産業」という言葉は初めて聞きましたが、面白いですね。
―― ちなみに、「静脈産業」という言葉を教えてくれたのはわたしのボスで、本誌主筆の木内孝氏です。http://onarimon.org/article/430 傘寿を迎えた今も、相当エネルギッシュな人です。資源リサイクルについても詳しいので一緒にセミナーやってもいいですよ。また、もう一人のボスの永山新一編集長もMore with Lessについて相当深い見識をもっています。そのうち彼らを連れてお邪魔します。それにしても、さっき中央通りのど真ん中で、いわゆる昔の不良のような座り方でたむろっている華人集団に遭遇し吃驚しましたが、これも時代の、そしてグローバル化の流れなのでしょう。
さて、もう一度言いますが、かんべ土地といえば、大井町です。この前、大井町駅前の御本社にお邪魔しましたが、わたしが日本に住んでいた頃と比べてずいぶん街が変わったな、と感じました。
神戸氏: ええ、ずいぶん様変わりしました。近年、大井町は交通の便の良さからも注目されています。以前からJR京浜東北線と東急大井町線が通っていましたが、2002年にりんかい線が全線開通してからは3線が使えるようになりました。りんかい線は、埼京線が延長され臨海地区経由で新木場まで通っているため、渋谷まで10分、新宿まで15分で行けます。りんかい線で国際展示場へのアクセスが良いことや羽田へのアクセスが良いことから出張者の宿泊ニーズが高く、現在2000室以上のホテルが稼働しています。また京浜東北線で丸の内など都心部にダイレクトで行けるので、通勤に便利な住宅地としての人気も高まっています。2010年に劇団四季の劇場が開業し、1回の公演で1000人以上の人が行き交うようになりました。乗降客数は30万人にも上るそうです。ただ単に乗り換えで通過する人が多いのも事実ですので、今後は目的をもって大井町に来てもらうための仕組み作りに着手していきたいと思っております。
―― なるほど、それが神戸さんのおっしゃる「街づくり」の意味するところなのですね。
神戸氏: はい、街づくりへの貢献は2通りあります。事業を通して行うものとボランティアでやっているものがありますが、これらは相互に密接に結びついています。 事業としては、長年、街の人たちや外部利害関係者のニーズに応じて、商業施設やホテル、住宅等を開発してきました。店舗でも「大井町にしかない」といえる個性のあるお店をピンポイントで誘致することもあります。不動産情報についても地元での情報収集を重点的に行い、より正確にスピード感をもって対応しています。
一方、ボランティアとしては、「NPO法人まちづくり大井」に参加し、定期的に大井町の人々と意見交換し、様々なイベントの企画運営を行っています。それ以外にも、社員有志と外部ボランティアにより「大井町フラワープロジェクト」という活動も行っており、「大井町を花で埋め尽くそう!」を合言葉に、自分達の手で花を植えています。これはイギリスにある“ゲリラガーデニング”というものにヒントを得たものです。 こうやってそれぞれの立場で、できることをやっていくことで相乗効果があると考えています。
―― 「街を花で埋め尽くそう」という市民の心意気って、粋ですよね。さて、貴社は今年で創業85周年を迎えました。そして、神戸さんも社長に就任しました。ダブルでおめでとうございます。これまでの歩みを簡単にご説明いただけますか。
神戸氏: もともと創業者の神戸與平(よへい)は、生命保険会社のサラリーマンだったのですが、1929年にアメリカで起きた世界恐慌の荒波に危機感を抱いたのでしょう。このままでは自分の職も危ないと感じ、大井町で起業したようです。不動産を生業にしたのは、たまたまその会社に西武の堤康次郎氏が融資関係の打ち合わせに来ていて、特に堤氏と直接話したわけではないのですが、不動産をやろうと決意したようです。
―― 起業家魂でしょうね。きっと、その瞬間に不動産業のポテンシャルを直感的に嗅ぎ取られたのでしょう。
神戸氏: そうかもしれませんね。ただ、当時、不動産業は巷ではあまり知られておらず、「お不動さん」と間違われるような時代だったようです(笑)。翌年1930年に日本でも昭和恐慌とよばれる大不況が起きましたが、1930年起業ですので、昭和恐慌の真っただなかに、住宅と店舗の仲介業者として船出をしています。その後、不動産業と並行して、ミルクホールや旅館を直営したり、太平洋戦争中には運送業も営んでおりました。戦後の大井町駅前は闇市等で活気づき大変な賑わいだったようで、それに伴い弊社は不動産専業となりました。闇市はやがて商店街に姿を変え、自分の世代になってからは、品川区を代表する街に発展を遂げたわけです。
―― まさに大井町とともに成長されてきたのですね。ところで、ミルクホールというのは喫茶店の前身でしたよね。
神戸氏: 読んで字のごとく、もともとはミルクを出す軽食屋のたぐいだったようです。当時、政府の指導で体質改善のためにミルクを飲むことが推奨されていたようで、ミルクやカステラ等のお菓子を出すお店が明治時代にたくさんできました。その後、コーヒーブームに伴い、コーヒーも出すようになっていったようです。
―― 時代の波に見事に乗っていったのですね。以前伺った「土地は投機の対象ではなく、未来を今より良くするための果実を生み出す元本として存在する」という創業者・與平氏の言葉はインパクトがあります。言い得て妙です。そういう基本方針があったからこそ、バブルの荒波もくぐり抜けられたのでしょうね。きっと貴社の未来もこの言葉をいかに具現化していくかにかかっているのではないでしょうか。
神戸氏: ええ、まさにそれを弊社経営の根幹に置いております。人間の社会生活に欠かすことのできない土地から、その「果実」を生み出すには、初心を忘れず、理想を失うことなく、新しいアイデアや企画を生み続け、結実させていくことが不可欠ではないでしょうか。
―― おっしゃる通りですよね。それでは、これからの日本で不動産関連事業を構想していくポイントを教えてください。
神戸氏: まず、「格差の拡大」が挙げられるでしょう。地域間、物件ごとの優劣が顕著になり、あらゆる面で格差がひろがっていくでしょう。東京はオリンピック効果もあり、インフラが整備され、不動産価値は上がるでしょう。一方で、地方は厳しい状況におかれるエリアが少なくありません。しかし、地域が一体となって工夫していくことで、独自性を活かし存在感を示し続けることができるのではないでしょうか。
次に、「老朽化した建物への対応」が挙げられます。東日本大震災以降、特にビル強度に対する関心は高まり、都心部でも指定エリアでは耐震調査が義務づけられています。しかし、今の技術ですとテナントが入ったままでは工事が容易ではありません。一方で、日本の法律では借家権のためテナントは動かせませんので、結局やりようがなく、一般論ですが、手をつけられていないビルが少なくないようです。これを解決するには耐震工事をする場合はテナントが協力するような法整備が必要となってくるでしょう。
―― 欧州では築100年以上のビルが補修工事を重ねて、今でも使われているケースもありますが、日本の場合、やはり地震があるから難しいのでしょうか。一般的に、老朽化したビルの補強・建て替えの目安というのはどう考えればいいのでしょうか。
神戸氏: 建て替えを意識しなければならなくなるのは、一般的には、鉄骨鉄筋コンクリート造の事務所なら60年程度、木造住宅なら40年程度ではないでしょうか。
弊社の場合、お蔭さまで、本年10月よりK-15ビルの耐震補強工事に入る運びとなりました。このビルは昭和44年に建設しイトーヨーカドーのショッピングセンター第1号としてオープンしました。K-1ビル竣工時にヨーカドーが移転したことに伴い、今は店舗、メディカルモール、スポーツジムに賃貸中です。もともとテナントさんとの契約を全て今年9月までとしていたので、いったんビルを使わない状態にして耐震工事に入ることができました。約6か月かけて耐震工事を施し、完了後再度賃貸する予定です。今後はこのように昭和40年代に建てたビルから順次、補強や建て替え等の選択をしていくことになります。
もう一つの論点としては「空家、未利用地等の活用」が挙げられます。総務省調査によれば、空き家は全国で820万戸あり、空き家率13.5%と過去最高水準となっております。少子高齢化の進展で、今後もこの傾向は顕著になっていくため、空き家対策は日本の不動産業界にとって重要課題の一つといえるでしょう。
―― 少子高齢化の影響は、そういう形で不動産業界にも及んでいるのですね。それでは、そうした視点を踏まえ、貴社が抱える経営課題について、今後の取り組みを教えていただけますか。
神戸氏: まずは、人材でしょうね。不動産の仕事は何より人が大切です。長年弊社を支えてきた人たちが順次引退していくので、彼らに代わる人材の確保が不可欠です。これまでは創業者やその教えを受けたメンバーが会社を支えてきたのですが、これからは、その精神を受け継ぎつつ、一人一人が自立した上で連帯していく時代を迎えます。これに関連して、2年前から外部コンサルタントの富澤亮太氏の協力を得て、社内活性化活動を行っています。自立という意味では、社員たちが社内クレドを作成し、士気を高めています。
―― 自立という言葉には、きっと「自律」という意味も込められているのでしょうね。これからの激動の時代に向けて、ある意味で第二創業の時期を迎えた、かんべ土地。その意味で、社員の方々が全員参加して新しいクレドを作成するのはとても重要な意味を持つでしょう。
神戸氏: ええ、だんだんと効果が出てきている気がしております。もう一つの課題は「大手不動産会社や他業種との競争」でしょう。日本の不動産市場では大手の不動産会社、金融機関の系列会社、信託銀行が圧倒的な力を持っています。その中で我々は戦っていかねばなりません。さらに、業界の垣根がなくなり、他業種から参入してくる企業も増えてきており、まさに不動産業そのものの存在が問われているといっても過言ではありません。
―― 競争が激化してきているのですね。すでに貴社は大井町のニッチプレイヤーとして確固たる地位を築いていますが、今後どのようにさらなる差別化を図っていくのでしょうか。
神戸氏:弊社は、大手不動産会社とも時には互角に相対しつつ、現場の木目細かな仕事にも対応できる独特のポジショニングを構築しています。これからも当社自身の実力を高め、独自性に磨きをかけていきます。三菱地所レジデンス、JX日鉱日石不動産と共同事業で分譲マンション「ザ・パークハウス大井町レジデンス」を開発し(全143戸)、今春完成しましたが、今後も案件によっては他社と連携して事業を行っていきます。
また、これからは不動産サービスの世界でも、他業種との競争激化が想定されます。既に賃貸マンションを探す時はほとんどのテナントがネット上で物件探しをしており、今後は契約時の重要事項の説明まで電子化されることが検討されています。これらは、まだ第一段階に過ぎず、電子化・自動化は今後加速度的に進んでいくでしょう。これからは今までのように誰でもできるIT化ではなく、より進んだ発想力が求められる時代になるでしょう。顧客目線で「こんなことができたらいいね」というものをサービスとして創造していかなくては市場から淘汰されていきます。もちろん、こうした新しいサービスは自分たちだけでは作れないので、異業種とも協働しながら模索していきたいと考えております。
―― たしかに IoTの時代が目の前に迫ってきている今、より高度なデジタル化対応が必要となってくるでしょうね。今おっしゃっていた「顧客目線のサービス創造」という点について、もう少し教えていただけますか。
神戸氏: わかりました。もう一つの課題である「保有資産の活用」(未利用・低利用土地の再開発等)にからめてご説明しましょう。弊社では、1997年にK-1ビル(イトーヨカドー大井町店)、2009年にK-7ビル(ホテルヴィアイン東京大井町)が完成しました。次の一手として、大井町駅前に所有する土地で品川区やその他の地権者と共に新たな再開発を目指しております。対象となる土地は、現在、駐車場や店舗への賃貸として活用しておりますが、個性的なテナントを誘致し、街の活性化に貢献したいと思っております。すでにナポリピッツァで有名な柿沼進氏と組み「PIZZAMAN.」(ピッツァマン)を誘致し、4月には焼肉で人気の「まんぷく」の新業態がオープンしました。
―― テナントとの協働(コラボレーション)がテーマだそうですね。
神戸氏:単純に建物をつくって高く貸すというだけのビジネスモデルからの脱却が必要です。例えば、PIZZAMAN.については駅至近の場所にあえて平屋建てでかまぼこ型のユニークな建物を建設し、石窯等の設備建設のみならず、開業当初は広報の面でもかなり協力しました。実は最近まで放映されていたドラマの舞台としても使われていました。これから考えられるのは、場を提供するとともに、事業アイディアまでサポートしていくトータル・コーディネーター的な役割です。家賃収入を得るというスタイルにこだわらず、出資やストックオプションの取得等も視野にいれて弾力的に対応していくことが肝要でしょう。そうすることによって、コンセプトを共有するテナントと共に、統一感のある街づくりができると思うのです。
―― なるほど、大井町の守護神として、これからも街づくりを主導していくわけですね。最後に、神戸さんの今後の展望をお聞かせいただけますか。
神戸氏:はい。「不動産開発事業」(デベロッパー)と、「顧客サービス事業」(不動産売買・賃貸の仲介、管理等)のそれぞれが独立して成り立つ姿を目指しております。
まず、デベロッパーとしては、既存ビルのさらなる価値改善、新規開発への取り組みを順次進めていきます。また「ザ・パークハウス大井町レジデンス」に続いて、分譲マンション事業にも取り組んでいきたいですね。さらに同業者に加え、今後は他業態ともコラボレーションを模索していければいきたいと考えております。テナントと協力しあって、独自性のある不動産活用を模索していきたいのです。主要拠点である大井町に加え、拠点のある新橋や銀座でも単純な不動産活用以上の付加価値を提案できる力をつけていきたいと思っております。これまでデベロッパー事業については、大井町と支店のある新橋、銀座が大部分でしたが、今後は他の地域でも取り組んでみたいですね。現地でしっかり組めるパートナーがいる場合は、関西や、場合によっては海外でも不動産取得を考えております。もちろん、全体の中ではごく小さなポジションに限りますが、それによって東京にはない文化や考え方を吸収することができると思うのです。
顧客サービス事業については、不動産業界全体が今後一段と厳しい環境になっていきます。今までと同じやり方では顧客から選ばれなくなります。顧客にとって真に価値あるサービスを提供していくためには、まずは専門性をとことん追求していくことだと考えております。社員に不動産取引関連以外の知識も身につけさせることで、サービス力を高めていきます。例えば、日本では相続税改正がホット・トピックですが、不動産と相続は元来結びつきが強いので、そうした分野にも対応できる社員を育成していきたいですね。実際、昨年から不動産と相続をテーマにした講演会・相談会を実施してきており、今後も様々な情報を提供していきます。それから、社員には単に営業収益をあげるためでなく、「一人の人間として正しいかどうか」を行動基準とするよう言っております。長期的に見れば信頼を築き上げていくことが大切で、結果は後からついてくると信じているからです。今の会社も創業者をはじめとする先輩たちが築き上げてきた徳の上に成り立っており、我社の歴史がそれを証明しています。かんべ土地は、これまで通り地元密着を心掛け、「不動産の専門性プラスアルファの付加価値を提供できる集団」として、街の活性化に貢献していきます。今日はありがとうございました。
―― こちらこそどうもありがとうございました。
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