四車線のハイウェイ
ロンドン行きの最終列車に飛び乗る。車中、へとへと、へろへろの状態で、先ずは赤ワインの小瓶を空ける。英語でいう「ダウン・イン・ワン」(一気飲み)。心地良い酔いが一気に全身にまわっていく。すかさず、やや困惑気味の給仕にウィンクしてもう一本開けてもらう。それをちびちびとやりながら、私淑する作家の小説を読み始める。
しばらくすると、私は深い眠りに落ち、夢の中でもがき苦しんでいる。句点が全くない文章の大波に呑み込まれていく夢。膨大な数の文が無数の読点で鎖のようにつながれていて、私に向かって押し寄せてくる。遠い昔、合宿所にいくと、毎日のように先輩と称するサディストに吐くまで飲まされたものだ。トイレから戻ると、また飲まされ、不条理の守護神シーシュポスの岩の神話のように、トイレと宴席の往復をひたすら繰り返していた時期があったが、正にそんな感じで、夢の中の私は、文字の濁流に飲みこまれ、蹂躙され、ボロボロになっていく。怒涛のように押し寄せる文字を飲んでは吐き、吐いては飲み、ひたすら嘔吐を繰り返しているうちに、ある種ハイな状態になってくる。そうこうしているうちに、列車はロンドンに到着し、私は静かに目を開ける。
駅の近くのパブに向かう。かつてラグビー界の頂点を極めた友との再会。私の末弟よりも若いのに、とてつもない存在感がある。ニュージーランドでは誰もが知る国民的スターで、怪物ロムーがいた頃のオールブラックスで主将を務めた。父親もかつて主将を務めた親子鷹。
「メディアはそんな風に言うけれど、父親は僕が小さい時に出て行ったっきりでね。母子家庭で育ったから、僕がオールブラックスに入れたことに父は全く関係ないんだ。むしろ、看護婦として夜勤を続けながら僕ら三人兄弟を育ててくれた母に負うところが多い。スキンシップとか一切ない厳格な母だったけど、勤勉さや責任感、いや、気合っていうのかな、そういうのを彼女の背中から学んだと思う。それが、今の僕の背骨になっているんじゃないかな。それから、母方の祖父が僕の父親代わりで、大自然の中でいろいろ男の子の遊び方を教えてくれたことも大きかったと思う」
25歳でラグビー世界最高峰チームの主将になって、苦労したことは?・・・英国や豪州のチームと違って、僕らのチームは、ニュージーランド人に加えて、サモア人、トンガ人、フィジー人など、良く言えば多様性のある、悪く言えばばらばらのチームだった。例えば、百年前は、サモア人とフィジー人は殺し合いをしていたわけで、同じ南太平洋の国々といっても文化的には異質で、そういうチームをまとめていくのに何が必要かというと、信頼感の醸成に尽きるわけだ。そのためには、トップダウンではなく徹底的な対話に基づくコンセンサス・ビルディングが不可欠で、理想主義に燃える経験不足の男がトップとして多様性に富むチームを引っ張っていくのは容易ではなかったけれど、最高に刺激的な経験だった。試合前にハカの踊りをしていると、チームが一体化していくのが体感できるんだ(注:ちなみに「頑張って、頑張って」ではなく、マオリ語で「カマテ、カマテ」と言っている)。
リーダーとしてチームを勝利に導くために心がけたことは?・・・オールブラックスレベルになると、皆、頂点を極めた人材が集まってくるので、基本的なことは言う必要がなかったけれど、さっきも言ったような多様性があるから対話は欠かさないようにした。その前もいろいろなチームで主将をやって、そういうチームでは、やはり人材のバラつきがあって、なかなか一筋縄にはいかない。「チームの発展に貢献しない者はただ去るのみ」というオールブラックスみたいなチームでは当たり前の不文律を全員に叩き込んでいくのがチャレンジだった。中には、テクニックは優れているのに協調性が全くなくて、自分大好き人間みたいな奴もいたけれど、そういう場合には、トップダウンではなく、ピアー・プレッシャー(仲間からの圧力)をよく使ったな。車座に座って、皆でその本人に改善点を指摘し続けると、どんなナルシストであっても、流石にうな垂れて、翌日からすっかりチームプレイヤーになったものだ。それから、「生産的偏執狂」(プロダクティブ・パラノイア:頭韻に注目)と表現しているんだけど、普段から様々なリスク要素を考えて、いろいろな問題点を未然に防ぐことを心がけてきた。これは、ビジネス界でもリスク管理の観点から役立つ視点ではないだろうか。
そんなラグビー界のエリートが、どうして母国を捨てて、英国に来たんだい?・・・ニュージーランドは保守的な国で、僕の将来ははっきりと見えたんだ、ラグビー界という狭い世界にいる限り、監督になるとか安定した将来が見えるんだけど、自分の可能性にもっと賭けてみたかった、自分で自分をチャレンジ(=これでいいのか、と現状に疑問を呈すること)し続けたかったんだ。引退したのは三十代前半で、そのまま敷かれたレールに乗るのは早すぎるだろ。それから、あまり勉強する機会がなかったので、僕を含め多くのニュージーランド人には憧れの、英国最高峰の大学で勉強してみたかったんだ(彼は、オックスフォードとケンブリッジの両方の大学院で学んでいる)。その後、ロンドンでサラリーマンにもなったけど僕には向かなかった。それで、小さな会社を始めた。イートン校など有名私立高校の生徒を数週間ニュージーランドの大自然の中に連れて行って、自分探しをさせるんだ。大人になるための通過儀礼といってもいい。たいてい彼らの父親は上流階級の人間で、ラグビーといえば、英国では彼らのスポーツだから(注:ニュージーランドでは庶民のスポーツ)、元オールブラックス主将というと、誰でも会ってくれる。上流階級の人たちは子育てには直接関与しないことが多いので、いろいろ思春期の子供が問題を抱えている場合も少なくない。だから、そういう少年たちの兄貴や父親代わりとして、彼らと本気で向き合って、彼らの自分探しに手を差し伸べてあげたいと思ってね、いつの間にかそれが仕事になっちゃったんだ。
最後に、君にとって幸せとは何だい?・・・いろいろな意味で、戦い続けることかな。死ぬまで戦い続けたい。瞬間、瞬間を楽しみながら。
彼の笑顔を見ていると、ゆとり教育をはじめ、日本政府がとった教育に関する様々な方針は間違いだったと思わざるを得ない。人はみな違うのに過度に「平等」を強調して、一体何が得られたのだろうか?競争の中で、自分の弱さを知る、なにくそと立ち上がって自分の強みに集中する、ひたすら努力を重ね再び勝負に挑んでいく。それをシーシュポスの神話のように何度も何度も繰り返していくことが、たぶん、神が人間に与えてくれた、幸せへの近道なのではないだろうか。人生は四車線のハイウェイ。ひたすら走り続けているうちに、いつか自分の名前が書かれた出口の標識に出会えるだろう。
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