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御成門新報公式サイトオープン

御成門新報公式サイトオープン

近代から現代に至るまで、人類社会の発展を支えてきたのは科学技術の発展でしたが、その基礎は 17世紀にデカルト•ニュートンによって確立された近代合理主義に立脚した近代科学の上に基づいています。それは「機械的世界観」と「要素還元主義」を柱とする思考の枠組み(以下パラダイム)で成立している学問です。機械的世界観とは「世界がいかに複雑に見えようとも結局は一つの巨大な機械である」という捉え方を指します。要素還元主義とは「人間が何かを認識する時にその対象を単純な部分の要素に分類•分割し、その分類した要素を詳しく調べ、問題があればその部分を修復し再び元の形に戻せば良い」という捉え方です。この2つのパラダイムは世界が農業化から工業化へ変化していく中で「無ければ造るしつくれば売れる」という状況の中、恐るべき切れ味をみせました。

 ところが、この 2つのパラダイムは今、息切れを起こしています。それは機械的世界観においては「全体を部分に分割する都度、全体に内に含まれる大事な何かが失われていく」、要素還元主義においては「重要でないと考えられる要素は捨て去っていく事にならざるを得ず、何が重要で何が重要でないかの判断は当事者が所有する思考の枠組みによって独断的に決められてしまう」という各々の限界点が見え始めているからなのです。つまりこれらは 2項対立の思考、分離分割の思考とも言え、主観と客観や全体と部分をそれぞれ対照的に分析的に捉えてその反対の一方を捨て去るという思考形式では現代事象が捉えられなくなってきた事を指すのです。

 しかし、よく考えてみるとみるとこれらのパラダイムは近代に発生したものです。そしてその近代のパラダイムという眼鏡をかけて現代を理解する事自体に無理があるのではと私たちは考えました。

 そこで私たちは かつての偉大な先人達のように、メディア運営を通して現代にふさわしいパラダイムを「独立不覊、不偏不党、官民調和」に基き、知足利他の視座で読者の皆様と創成していきたいと考えるに至ったのです。
御成門新報は読者と共に現代そして未来へのパラダイムを紡いでいくオープンエンドのインターネットメディアを目指し歩んで参りたいと考えています。

世界を徘徊する「歴史認識」という名の妖怪

「歴史認識」見直しの潮流
この数カ月、「歴史認識」という名の妖怪が世界を駆けめぐっている。これは、「従軍慰安婦」と名付けられた第2次世界大戦中の、帝国軍人相手の売春婦のうち、生き残った何人かに対し、彼女らが亡くなる前に、現在の日本国首相を初め日本国政府、日本企業、日本国民全員が、心から謝罪し、損害賠償を支払うなど、精神的、物質的な償いをせよ、という、「高貴な」人道主義者たちの大合唱である。
この大合唱は、無知な政治家や人権活動家だけではなく、中には高名な欧米の「日本研究者」などを含む、かなり知性のある(筈の)人も積極的に関与しており、欧米の権威ある偉い先生に弱い日本のメディア、上から目線の国民を見下してこれに同調する我が国の「知識人」達も、歓呼の声をあげて率先参加の様相を呈している。

187人の「日本研究者」達の歴史認識を問う
この知識人による大合唱の一例が、5月7日から8日にかけて、国内のメディアでも取り上げられた、アメリカなどの「日本研究者」(scholars of Japanese studies)187名が共同して発信した、「従軍慰安婦」問題に関する「声明」(Open Letter)である。この「声明」は、安倍首相にも送り付けられ、特に(筆者は別稿「朝日を甘やかした読書の責任」(WiLL6月号)でも述べた通りこの10年来読まないことにしている)朝日新聞などは、鬼の首を取ったようなはしゃぎようだったと報じられていた。しかし、幸か不幸か、その後何ヶ月かたった近頃では、少なくとも国内ではこの「声明」自体についてそれほど関心が集まることもなく、メデイアの話題としてもこのまま忘れられていきそうに思えるのが現状である。
だが、大学卒業以来60年余り、法と労使関係の比較研究を専攻、様々の国の学者達と数多くの共同研究に携わり、欧米の幾つかの大学で客員教授などを務めてきた筆者の目から見ると、この「声明」は、欧米知識人の後発国の人々に対する上から目線を象徴するようなスタンスに立ち、中でも人権尊重という西欧的偽善の切り札を巧みに用いた、彼ら特有の「お説教」に過ぎないように思える。筆者の抱いた率直な感想は、国際的にも名の通った何人かの知識人を含む187人もの研究者達が、何故わざわざこのような高度に政治的な文書に署名したのであろうか?という疑問である。

国際基準の普遍性は真っ赤な嘘
この疑問を解く鍵は、国際規範、国際基準(international standards)と東西の法理論、法制度などの現実の機能に関する、以下の3点の認識に帰着するというのが、歴史認識の検討を主題とする本稿の基本的視角である。
第一に、法は人間の作ったfictionに過ぎず、西欧発の法とは、西欧の文化、宗教、歴史、価値観と密接に結びついて形成されたもので、東西を超えた普遍的妥当性など有するものではなく、イスラム諸国は勿論、アジア、アフリカなどの国々には当然には受け入れられがたいものであること。第二に、法というものは、基本的には世界のある一国において、歴史のある時点で立法なり判決なりにより設定されたものに過ぎず、国の基本法規である憲法なども、戦後制定された各国憲法でさえも多くの国で十数回程は改訂されているように、我が国で一般に信じ込まされているような「不磨の大典」でも何でもないこと。第三に、従って西欧諸国や我が国の大多数の生半可な法律家が当然のように主張しているような、世界の恒久平和、法治主義、民主主義、人権尊重、法の下の平等など「民主主義国」に共通とされる法の基本原則などは、それ自体として建前としては極めて素晴らしいものであるが、同時に現実には甚だしく疑わしい:ものであること。
ところが、このような「法の虚偽性」にも拘らず、西欧諸国の人々は、これを額面通りのものと信じ(あるいは、信じた振りをしながら)建前と現実のギャップを無視して、その普遍妥当性を振りかざして、世界中の人々にその遵守を期待し、これに従って行動することを要求し、さらに場合によってはこれを強制するために力を行使するというのが今日の世界の現実に他ならない。
これらの基本的法価値のうち、例えば「世界の恒久平和」などは、毎日の世界の動きを見ていれば、単なるお題目であり、その目的で作られた筈の国際連合などは、第二次大戦の戦勝国の支配のもとで、全く機能を果たしていないことが明々白々である。法の平等などについても、お題目としては聞き飽きるほどだが、ヨーロッパの移民問題、アメリカでは年中行事のように続発する発砲事件、大統領すらヘイト・スピーチのターゲットになる現実など挙げればきりがない。

売春こそは古今東西を問わず「普遍的」実在
当面の主題である売春問題にしても、アメリカ軍のお行儀の悪さは先刻実証済みであり、「同じ日本人である沖縄住民が米軍からひどい扱いを受けているのに他の日本人は何故立ち上がろうとしないのか、私には理解できない」として、二〇一〇年に亡くなるまで『アメリカ帝国の悲劇』、『帝国解体ーアメリカ最後の選択』などの数多くの名著で、沖縄のみならずアジア諸国における米兵の数々の蛮行を鋭く批判し続けた、戦後米国の日本研究の先覚的パイオニヤ(従って187人「日本研究者」達の大先輩)ともいうべき故チャルマーズ・ジョンソン教授(1970年代にバークレー留学中のある日のこと、朝日新聞の松井やより記者が研究室に現れて、教授に会いたいというので、同じ研究所の教授の部屋に案内したところ、女史の偏見に満ちた議論に呆れた日頃温厚な教授が、気色ばむような場面があって気まずい思いをした記憶がある)の指摘をはじめ、在韓米軍兵士のための韓国政府と米軍共同企画による慰安婦制度、ベトナム駐留韓国軍御用達の慰安婦制度、韓国軍による女性のレープなどは、韓国ジャーナリストや金喜玉漢城大教授、李栄勲ソウル大教授らによる現地調査で実証済みである。
更に視野をグローバルに広げれば、第二次大戦以降に限っても、ドイツ軍による売春制度や東欧諸国における現地女性に対する暴行・強姦の事実、ヨーロッパ各地やシベリヤにおける戦争末期から戦後にかけてのソ連軍兵士による暴行・強姦の事実など、世界の至る所で売春・強姦は日常茶飯事であったことは、日本軍の売春婦制度について提示されてきた程度の証拠よりはるかに信憑性が高い歴史的事実の存在は否定しがたい。

西欧発の「法」とは「勝者の法」
こうしてみると、アメリカを含め西欧諸国の人権尊重は、理念としては高貴極まりないが、フィクションとしての法の域を出るものではないことが明らかである。西欧の法とは、その起源であるローマ法の時代以来、ケーザルのガリア戦記に記載のあるように、「勝者の法」に外ならず(juss esse belii,…. Caes.B.G.I,36,1.)、法は支配者が専ら自らの為に使いこなす「フィクション」に過ぎないという「法の虚偽性」(ドイツの哲学者Haifinger の『かのようなの哲学』に依拠した来栖三郎『フィクションとしての法』参照)の魔術に繋がるものであり、このことを十分に踏まえて初めて、現在我が国を取り巻く妖怪の実相にせまることが出来るというのが、本稿の基本スタンスである。
憲法を「不磨の大典」などとする思考停止に陥り、既にふれたように西欧諸国では戦後になってからも殆んどの国で数十回も行われている憲法改正をタブー視し、いわんや「解釈の変更」でさえも、内閣官房補佐官が口にしただけで無知な国会議員やマスコミが騒ぎ出すこの国の多数憲法学者や法律家の憲法認識=法認識はガラパゴス現象以外の何物でもないというのが、本稿の基本的視角である。

情緒的「歴史認識」の虚偽性
さて、この187名の研究者による「声明」なるものの本文に目を通してみると、先ず、「日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に関する『正確で公正な』歴史を追求していることに対し、心からの賛意を表する」という文章で始まっていることに、筆者は強い違和感を覚える。言葉尻を捉えるようでやや気が引けるが、研究者である以上正確さを求めることは至極当然、特に勇気を要することではなく、わざわざ「勇気ある歴史家」に呼びかけるのもわざとらしい気がするが、「公正な歴史」とは一体何だろうか ?
戦争とは言うまでもなく、利害の対立を前提として国と国とが国の威信と国民の命を懸けて闘うものであり、戦争の歴史の「『公正』な確認と記述」とは、当然異なる価値観に基づく相対的なものとならざるを得ず、どちらの価値観に基づく評価が「公正な歴史」なのか決めることは不可能といわざるをえない。このことは、歴史認識をめぐる議論が混乱する基本的問題点に関係する点であり、以下本稿ではこの点に焦点を当てて検討する積りだが、そもそも歴史研究者たる者は先ず「事実としての歴史」の検証を行った上で、そこで実証された歴史的事実の確認と、これを前提とした歴史の評価又は解釈の問題は、これを相互に峻別して論ずべきものと考えられる。
ところが、この「声明」は、冒頭部分に続いて、歴史解釈の問題で特に深刻な「慰安婦」制度の問題について、「日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言」によりこの問題が「あまりにゆがめられてきました」と指摘している。日本と韓中両国双方の「民族主義的暴言」をたしなめるという、この「声明」の基本的スタンスは一見、公平・中立を装いながら、この「声明」の名宛人(addressee)として指名されている「日本の勇気ある歴史家」の「民族主義的暴言」を嗜めようという立場に立っていることを示している。:
「民族主義的暴言」という言葉は、英語版では ”nationalist invective”となっており、英語のnationalistという表現は、排外主義的な愛国主義を意味する以上、この声明の呼びかけの対象となっている、慰安婦の軍による調達の証拠の存在を否定する我が国の歴史家達の発言を「民族主義的暴言」と決めつけ、韓国や中国の活動家、これに同調する日本国内の反日メデイアや一部の言論人たちによる発言と同等に、双方が混乱の惹起に対し責任があるという断定を示すものに外ならず、「声明」のこのような断定は、冷静な歴史研究者の判断としては首をかしげざるを得ないものと言わざるを得ない。
さらに「声明」は、日本の政治家やジャーナリストだけでなく多くの研究者(many scholars)が「歴史学的な考察の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失っているかのようです」と述べている。ここで「多くの研究者」とされているのは、言うまでもなく「慰安婦」制度(system)の存在を否定する日本の学者を指しており、彼らは「人間と社会を支えるべき基本的条件」を理解せず、その向上に努めることを怠っていると非難しているわけである。
「声明」はその上で、元「慰安婦」の苦しみが「民族主義的な目的のために利用されるとすれば」、それは問題の国際的解決をより難しくし、被害者自身の尊厳を侮辱することになると、韓国サイドの動きをたしなめた上で、「彼女達の身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも」受け入れ難いとし、二○世紀に繰り広げられた多くの「性的暴力と軍隊にまつわる売春の中でも、日本の「慰安婦」制度は「その規模の大きさと、軍隊による組織的管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります」と述べている。
筆者はこれを読んで、この「声明」に署名した187人もの「日本研究者」の各人一人一人が、果たして各自それぞれの知見にもとづいて、このように断言できるのかと驚きを禁じ得なかったが、これに続く部分を読むと彼らの研究者としての姿勢と資質に重要な疑問をもたざるをえなくなってしまった。その理由は、大別すれば次の三点に集約できる。

杜選な事実認定による衆を頼んだ政治活動
第一は、事実の確認における証拠の採否に関する証拠法則の基本を無視した断定である。この「声明」の記述を一読すれば、この187 人もの研究者達は、曖昧模糊とした記憶に基づく「証言」や、相互に相矛盾する多数の事実に依拠し、証拠価値が極めて低い伝聞証拠に依存した情緒的・主観的断定をこととしている点である。
第二は、高名な歴史家を含むこれらの研究者達は、その多数が属する西欧諸国によって、遠い過去のみならず、現在この瞬間にも、戦時、平時の如何を問わず、絶えず地球上の何処かで、侵し続けられている数々の蛮行、人権無視の事実を都合よく棚に上げながら、旧約聖書以来西欧文明の基本的信条とされている「汝らのうちの罪なき者」のみが許さるべき「石もて打つ」といった背教徒的行為に及んでおり、これは「二枚舌」=ダブル・スタンダードのそしりを免れないという点である。
第三は、自らscholars(研究者=学者)と称する187人もの人々が、国際政治のpower gameの「火中の栗」とも言うべき、controversialな争点を含む、優れてsensitiveな政治的ホット・イッシューに関し、数を頼んで他国の政治的姿勢に関して、hypersensitiveに高度な政治的行動に出るということへの疑問である。そもそも学者の集団、或いは学会と称する団体は、自らの非専門家に対する影響力の威力を熟知し、これを政治的に利用することは、出来るだけ抑制するという禁欲的スタンスが、良心的学者の取るべき姿勢ではなかろうか? 筆者の理解では、学者はその発言について個々の研究者としてその信念に基づいて主張すべきを主張し、同時にあくまでも謙虚に反対の説に耳を傾け、その上で毅然として自己の考えを記述・発言すべきものである。だからこそ研究者=学者である以上、複数者の共著、編著の場合は、共同研究の成果の場合でさえも、各自の分担部分の執筆者名を明示するのが原則であり、辞書類などの例外は別としてせいぜい数人以下の共同執筆が限度と考えられる(筆者は過去60年余に亘り、和文、外国語文、それぞれ共著、編著を含め数十冊の著書、数百の論文を発表してきたが、何十人もが集まって徒党を組んで意見を表明したことは皆無である。ただ残念ながら,所属した学会その他の団体の中には、権利主張を生きがいとする会員の多い団体ほど、少数者の思想、信条の自由を無視、蹂躙し、平然と多数者の政治的意見を団体名で公表する事例が珍しくない。事実本年5月にも、国会で審議中の法案を憲法違反とする「宣言」を団体名で公表した法曹関係の団体があり、これは政府提出法案の憲法違反を追求しながら、自ら団体員の思想・信条の自由という憲法上の基本的人権を平然と踏みにじって、そのことに気づきもしないという事態が起きている。加えて,法律上この団体への所属が専門職としての活動の要件とされていることもあり、良心的少数派も正面切って反対してトラブルに陥れば、場合により専門職資格を喪失する危険もあるところから、これに抗議することもできない有様である。筆者はこのような事例を見る毎に、さすが優秀な法律家達は、自分達の師匠である欧米の法律家のダブル・スタンダードをよく勉強し、見事にこれを使いこなしているのに感嘆することになる)。

証拠法則を無視した杜撰極まりない歴史認識
さらに読みすすめると、この「声明」は、「正しい歴史」への「簡単な道はありません」と、大見えを切った上で、日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されているているし、女性を調達した業者の行動については記録がなかっただろうが、女性の移送と「慰安所」の管理を明らかにする資料は相当発掘されているし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれており、女性達の証言は種々様々(diverse)で、一貫性を欠いているが、「全体として心に訴えるもの」であり、元兵士の証言、公的資料の裏付けもあると述べている。
「声明」はこれに続いて、「慰安婦」の数について、歴史家の意見は分かれているが、「おそらく正確な数字は永久に確定されないだろう」とした上で、「確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要」だが、「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性達がその尊厳を奪われたという歴史的事実を変えることは出来ません」と断言している。
ここまで読んできて筆者は、この「研究者」たちの「歴史的事実」とは甚だ情緒的、心情的なものであり、自称「研究者=歴史家」の事実の検証とはこの程度のものかと驚きを禁じ得ない。いやしくも歴史認識が問われているこの問題についての学者の発言がこのような雑駁極まりない根拠に基づいて、世界的に名声のある人々を含める187人もの集団が、わが国の「勇気ある歴史家」と国を代表する内閣総理大臣に呼び掛けているという事実は、信じ難い悪夢のように思えて仕方がない。
この「声明」が、systemとしての「慰安婦制度」の存在を証明するとして提示している歴史的証拠は、すべて曖昧模糊として相互に矛盾し、「何万でも何十万でも似たり寄ったり」、という乱暴至極、法律家としての筆者から見ると全て「相互矛盾、自家撞着」の証言+物的証拠+証拠書類などに基づく判断であり、提出された多数の証拠物が相互に相矛盾するとすれば、そのような証拠物の数が多ければ多いほど、相互に信憑性が失われ、全体として証拠価値は限りなく低下し、紙屑にも等しい「証拠」に基づく、情緒的、恣意的判断であり、証拠法則上全く立証責任を果たしておらず、とても学問的水準には達しない偏見に基づく検証であり、歴史的検証に立脚した文章に思えて仕方がない。
同時に、証拠法則という観点からみると、従軍慰安婦問題の検証において忘れてはならないもう一つの論点として、伝聞証拠に関する法原則の問題を指摘しておく必要がある。そもそも従軍慰安婦の問題が、国際的に注目を浴びるに至った端緒となった朝日新聞の記事は、既に掲載後間もない時点で秦郁彦、安乗直など日韓の歴史学者の綿密な本格的現地調査を含む実証的研究により決定的に覆された通称「吉田証言」という名の文字通りの創作(fiction)に依拠した伝聞証拠の域を出でず、訴訟提起をめぐる利害関係者(特に我が国の弁護士など慰安婦訴訟の代理人を務めた直接の利害関係人など)の創作など、最も証拠能力の低い文書、これを基にした国連(の「クマラスワミ報告」他)までも含む国際的規模の伝聞報道など、これらすべてをまともな歴史家が取り上げるとは想像の域を超えるものと言わざるを得ない。

歴史認識には事実の検証こそが決め手
だがこのような筆者の疑問に対しては、187人の「日本研究者」達は、自分たちの歴史認識は法律学者の歴史認識とは異なるものだと言うかも知れない。併し、この「研究者」達は、それぞれ専門は異なるものの、歴史学、経済学、社会学、政治学、人類学といった専門分野の如何を問わず、社会科学研究者=学者として歴史を語る以上は、先ず「事実としての歴史」の検証を行った上で、これに基づいて実証された歴史的事実の確認と、これを前提とした歴史の評価又は解釈の問題は、これを相互に峻別して論ずべきものと考えられる。
この点、優れた歴史家として歴史研究、歴史叙述の問題について緻密な研究を重ねてこられた山内昌之東大名誉教授なども、「歴史家は、事件の意味を理解することに努めるだけでなく、それが実際に起こったことを確認しなければならない」と述べておられ、加えて「歴史家の使命は警察官や裁判官の日常的な仕事と比較対照できる」(傍点、筆者)というイタリアの古代史家アルナルド・モリアーノの言葉まで引いておられるのが真に示唆的である。つまり、この「声明」に名を連ねる187人もの「研究者」達は、東西の優れた歴史家の歴史認識とはかけ離れた、情緒的歴史認識に基づいて、極めてemotionalな政治的発言を、世界に向けて発信したということである。
冷静な事実判断と学問的良心に基づき、個性をもって研究の道に邁進すべき「研究者」達が何故にこのように多勢を頼んで、emotional な行動に出たのであろうか?
魔物は「アメリカ例外主義」
既に述べたように60年余にわたり、欧米の学者と共に仕事をしてきた筆者であるが、合計すればそれぞれ数年に及ぶアメリカとベルギーなどでの滞在でも、一回ごとの滞在期間はせいぜい1年から1年半という細切れに過ぎないから、自らの体験を語るよりも、ここでは取り敢えず、留学と商社勤務のためアメリカに十数年に亘り在留した日本人と、同じく十数年に亘り日本に滞在し続けている欧米出身・米国籍のアメリカ人の二人によるアメリカ人に対する評価を紹介しょう。
先ず最初に紹介する遠藤滋氏は、三井物産.の社員として、アメリカでの留学・勤務合わせて十数年の後、中国担当役員として同じく十数年を過ごし、本年5月に『中国人とアメリカ人 自己主張のビジネス術』(文春新書)と題する極め示唆に富む書物を公刊されている。この書物の副題が示すように、氏はこの二つの国のビジネス術は日本のそれと比べて、「自己主張」が強いのが特徴として以下のような数多くの興味深い説得的な指摘を行っている。
1.アメリカ人は、自由と平等、人権尊重、民主主義というゆるぎない正義感にあふれ、アメリカのやり方がグローバル・スタンダードであるべきだと信じている。この信念は、「アメリカだけは違うのだ」という、いわゆる「アメリカ例外主義(American Exceptionalism)につながる。アメリカは世界の警察官として、ときには他国主権も無視し、アメリカン・スタンダードを世界に広めようとした。
2.日本人は、まず「皆に悪い」と考えるが、世界にはすぐ、「皆が悪い」と思ってしまう人が多い。皆に迷惑をかけたくない、という日本人の守りの発想だけでは、世界に通用しない。
3.アメリカ人、なかんずくワシントンという政治や司法取引の世界で特にそうだが、二枚舌、ダブル・スタンダードは日常茶飯事だ。とにかく旨い説明をする。
4.アメリカはフェアーな国ではないが、フェアーであろうとする国だとどこかで読んだ。フェアーでなくてもフェア―なように説明しているのは間違いない。…常にフェアーだと思われたいし、そうでないとプライドが許さない(以上傍点、筆者)
まだまだ引用したい言葉が次々に出てくるが、この商社マンによる以上のような記述は、下手な歴史研究者や民俗学者などのアメリカ研究には見られないアメリカ人の特質に迫った分析に思える。中でも4.の指摘などは、187人の「声明」の恩着せがましいスタンスにぴったりと当てはまるのが限りなく面白い。
さて、もう一人のアメリカ人評価は、マックス・フォン・シュ―ラ―・小林登という名の、牧師兼歴史研究家の『アメリカ人の本音』(桜の花出版)と題する著書によるものである。この本の著者はドイツ系の父とスエ―デン系の母の間に生まれたアメリカ人で、1974年米軍海兵隊員として岩国基地に赴任、日本と韓国で軍務に携わり、退役後国際基督教大学で政治学を専攻、以後役者、コメンテーターとして活動してきたという経歴の持ち主である。この書物は、パラグラフごとに英文と和文のテキストを交互に掲載するといったユニークな書物であり、筆者には原典と思える英文の方が解りやすく、訳者の名前が示されていないところから和文の方は著者自身が書かれたものか否か不明であるが、筆者にはやや違和感のある文章のため、ここでは筆者なりに抵抗感の少ない和文にして紹介することとする
この著者は、アメリカ海兵隊員として来日し、牧師さんでもあることからか、先ずアメリカと日本の対比をペリー提督の黒船来襲から説き起こしているが、ここで偶然にも前掲の遠藤氏と軌を一にして、「アメリカ例外主義」という信条に言及し、この信条は「アメリカは世界の中で一番上位の国」で、これは「アメリカは神様から世界の国々を支配する使命を受けている」からで、だから「アメリカは神様から世界を支配するという特別の権利を与えられて」おり、「相手の国にとってもそれが喜ばれるのが当然」と考えていると指摘している。この大前提に基づいて、アメリカ人である著者はアメリカ人の「本音」を次々と指摘しているが、以下ではこれらの興味深い指摘のうちのいくつかを紹介しよう。
1.アメリカ人はアメリカは人種平等の国だというが、1919年のパリ講和会議で日本政府が人種差別撤廃条項を提案したが、ウイルソン大統領がこれを拒否したように、基本的にアメリカの白人は人種平等が嫌いです。アメリカ人の言うことを簡単に信じる日本人が多過ぎますが、真実はアメリカ人の行動を観察しなければなりません。
2.アメリカは永遠に暴力と闘争の国です。自分の地位を守るために何時も闘わなければなりません。アメリカ人は自分達が世界一素晴らしい国であり、世界の他の国々は自分達より劣っていると信じています。
3.一般的に、アメリカ社会では妥協することは弱い人とみなされます。アメリカ人は強い人を称賛します。この意味は、強い人が強制的に弱い人を自分の意向に従わせるということです。.....アメリカ人は、アメリカが世界を支配するのが当り前だと思っています。その支配が、他国の国民にとても苦しみを与えるということを理解しません。理解することは不可能です。アメリカ人は絶対どんな国でも平等な扱いをしません。
4.アメリカのフェミニスト達は、自分達が最高と考えている理念に従って、現実を変えることが出来ると考えています。彼女らは、日本は男性が女性を完全に支配していると考えており、日本が大嫌いですが、同時に自分達が哀れな日本の女性を救う必要があると考えています。そこで、韓国人の従軍慰安婦問題活動家は、アメリカでフェミニスト達の支援を受けて各地で慰安婦の像などを建設して、大嫌いな日本を落しめているわけです。
5.アメリカ人はよくグロ-バル・スタンダードということを言いますが、この言葉の本当の意味はアメリカの基準です。この為、もし戦後の日本でアメリカ人が日本人は従順でないと考えたら、アメリカ人は日本人に対しもっと酷いことをしたでしょう。だから、日本人の自虐性は当時は必要悪だったのかも知れない。しかし、もう日本は独立国ですから必要はありません。
最後の5の指摘は、かのジョン・ダウアーの『敗北を抱きしめて』の視点を想起させるものがあるが、マックス・フォン・シュラ―氏は、この本の末尾で「アメリカ人はもう大東亜戦争を心の中で戦うことを止めるべきです。戦争はとっくに終わっており、アメリカは勝っているのですから」と述べている。この論理に従うと、ダウアー氏は今回の「声明」に名を連ねたことで相変わらず我が国を敵視して決起し、依然として「大東亜戦争を戦う」187人の督戦隊に志願したことになりそうである。

歴史認識の東西対比‐残された課題
さて、これまで外国の日本研究者による「声明」を題材に、従軍慰安婦問題を中心とする歴史認識の問題を追及してきたが、本稿では外国の日本研究者のうち主としてアメリカ人を中心に、西欧の学者達による日本国に対する認識の特異性を検討してきた。しかし、この「声明」に名を連ねた人々は主としてアメリカをベースに活動している研究者であるが、中には少数ながらイギリス、カナダなど広い意味での西欧諸国の研究者も含まれている。
その意味でこの反日活動は、本稿の冒頭に指摘したように今日世界を駆け巡っている「歴史認識」という名の妖怪の一環である。8月15日に閣議決定を経て発表された安倍総理の談話が、国際的な注目を集めたのも、ある程度このような妖怪が引き起こしたグローバルな関心の結果でもあると考えられる。安倍談話は、我が国の戦争責任の問題を「我々の子供や孫」に引き継がせることは出来ないと述べたが、このようなグローバルなコンテキストで見ると、第二次大戦の戦争責任の追及と責任の取り方をめぐる歴史認識問題は依然としてさらに立ち入った検討が要求されると言わなければならない。この点で、特に必要なのは、我が国と対比して屢々引き合いに出されるドイツの責任の取り方である。筆者は、本稿でも若干言及しておいたように、歴史認識の問題を筆者自身の60年余に及ぶ比較研究活動の視点から検討してきたが、筆者の在外研究は1959/60年のドイツ留学から始まったこともあり、本稿に続いて執筆予定の次稿ではニュールンベルグ裁判と東京裁判との比較、ワイゼッカ-大統領の謝罪と安倍総理の談話との対比、さらにドイツ降伏の時点でいち早くドイツの戦争責任問題を法的、政治的、道義的、形而上的責任のそれぞれにつき、国、政府、個人の責任のあり方を交差させて徹底的に追求したカール・ヤスパースによって示された思考ルートなどにも沿いながら、検討するつもりである。


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著者紹介

花見 忠 (はなみ ただし)

松尾綜合法律事務所客員弁護士。東京大学法学部法学博士、ケルン大学法学部、コーネル大学法学部、 カリフォルニア大学バークレー校留学。上智大学法学部教授、ルーバン•カソリック大学法学部客員教授、ハーバード大学ロースクール客員教授など歴任。政府関係の役職としては中労委会長、内閣官房参与等

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