【Steve’s Bar】連載第5回 【時代の先端の波上から見える世界】
ゲスト:高橋弥次右衛門氏 (15代高橋弥次右衛門)
(写真:左:高橋氏、右:筆者)
―― いつだったか、二人で飲んでる時にプロテスタンティズムのイデオロギーとか真面目な話になって、弥次がおもむろに「アメリカにいろんなルールを押しつけられてきたけど、俺ん家よりも短い歴史の国にとやかく言われたくないな」と呟いたんです。何気なく発せられたコトバでしたが、もの凄い衝撃をうけました。
高橋: そうだったけ(笑)。創業年についてはいろいろな説があるんだけど、徳川家康を祀る日光東照宮が建立された1617年から3年後の1620年に「穀屋 彌次右衛門」の屋号で初代高橋彌次右衛門が穀物商を創業したという説と、1663年創業という説があります。いずれにせよ、日光東照宮が建てられたことで、江戸時代中期の今市は宿場町・市場町として栄えていったようです。1789年になると、それまで扱ってきた大豆や小麦などの穀物類と日光山系の地下水(伏流水)を使って、7代目高橋彌次右衛門が醤油醸造を始めました。昭和に入ってからは醤油のブランドは「マルシチ」に統一されました。
―― どちらの説を取るにせよ、400年以上続いてるのは驚きです。
高橋: 家系という意味では続いているけれど、高橋彌次右衛門商店という意味では、15代目の俺が最後になりました。足利家も徳川家も15代目が最後。自民党が初めて下野したのも15代目の宮沢喜一総裁の時だったと思います。「自民党の徳川慶喜」なんて揶揄されてたんじゃなかったかな。日本では15は区切りがイイとか、切り替えだとか、言われているようです。言い訳ですが(笑)。高橋彌次右衛門商店はなくなりましたが、ジャパン・フード&リカー・アライアンスの傘下で「マルシチ」ブランドは生きています。マルシチは高橋家のものではなく、お客様のものです。大切なことは、どんな形にせよ継続することなんです。
―― パラダイムシフトの荒波のなかで、いろいろ苦労されたのですね。多くの会社が起業3年以内に消えていき、代替わりできた会社でも、3代で終わる会社が過半数のなか、15代続いたということは凄いことだとおもいます。それにしても、15という数字は何かありそうですね。つい先日、大企業経営者をしている、大学院時代の友人と久々に会ったのですが、5年前に僕がこんなことを書いていたらしいんです。自分では完全に忘れてましたが。
「石庭にある15個の石のうち、一度に見ることができるのは14個のみ。必ず一つは他の石に隠れて見えない。これを不満に思うなかれ、むしろ14個も見ることができる喜びをかみしめよ。決して満たされることのない人間の欲望・性(さが)に対して、龍安寺の石庭は沈黙を守りながら警鐘を鳴らし続ける」
高橋 良い話だね。わかる気がします。確かに15には何かあるんでしょう。
―― さて、お寺の話がでてきたので、京都にも負けない素晴らしい寺社がある、風光明媚な町、日光とのかかわりについて教えていただけますか。
高橋: 日光には昔から「二社一寺」(にしゃいちじ)という言葉があります。二社のひとつは、東照宮ですが、もうひとつは二荒山神社(ふたあらさん)で、一寺ののほうは輪王寺(りんのうじ)です。これらを合わせて「日光の社寺」としてユネスコの世界遺産にも指定されています。
高橋家は、徳川家らと共に代々、東照宮の「総代」を務めてきました。総代っていうのは、会社でいう取締役みたいな役割で、今は父が務めています。
生まれも育ちも麻布でしたが、小さい時から日光を訪れるたびに、祖父母から「お前の居場所はここなんだぞ」と言われ続けました。ですから、36歳の時に名前を利也から弥次右衛門に変え、15代高橋弥次右衛門を名乗れるようになったときは、安堵感みたいなものが感じられました。
―― 素晴らしいです。さて、日光といえば、金融機関の不良債権問題の分析で有名だったイギリス人銀行アナリストの人が、国宝などの修繕を手掛ける会社の社長に就任して話題になりましたね。
高橋: 小西美術工藝社でしょ。あそこもうちと同じくらい古い会社で、社主は親戚です。同い年だから近しい友人でもあります。そのイギリス人社長にも社主の紹介で会いました。ちなみに、その社主は、俺と同じでロシアの血が入っています。
―― 日光とロシアの血ってどういう連関があるのでしょうか?
高橋: ロシア革命のとき、日光にはたくさんのロシア人亡命者がきて、かくまわれていたんです。神社仏閣だから困った人を助けるのです。その関係で、俺も8分の1はロシアの血がはいってます。結構、日光には多いんですよ。
―― 権力者と亡命者の間で愛が生まれたということですか、なるほど~。僕はロシアビジネスの専門家でもあるのですが、日光とロシアの接点がそんな形で生まれていたとは全く知りませんでした。さて、現在は(財)東京顕微鏡院の顧問をされているそうですが、どんなお仕事なのでしょうか。
高橋: 母体はかなり古いんです。1891年に細菌学者の人たちが立ち上げた「顕微鏡検査所」が最初の形です。当時、結核等の伝染病が恐れられていて、まだ珍しかった顕微鏡を使う専門検査機関としてスタートしたようです。
ところが、その後活動が途絶え、戦後は休眠化されていました。祖父の兄は満鉄に勤めていたんですが、戦後、満州から引き上げてきました。その人の奥さんが医者だった関係もあり、休眠化されていた公益財団法人東京顕微鏡院を再開してやってみないか、という話になったそうです。そこで祖父と親戚の山田家がスポンザーとして資金提供し、祖父の兄が初代理事長に就きました。祖父も理事長をやりました。その後しばらくしてから一般財団法人になりましたが、ずっと高橋家と山田家で運営しています。今の理事長は父のいとこです。
現在は、東京都管轄の一般財団法人となり、輸入食品等の残留農薬や細菌等の検査、水質や空気など環境関連の検査、それから衛生関連検査、以上3軸を中心に活動しています。「すべての人びとのいのちと環境のために」を基本理念のもと、食と環境の安全を守るべく、精度が高い検査を実施する、厚生労働大臣登録検査機関として今後ともやっていきたいと思っております。
―― さて、今回、弥次を本誌で取り上げたいと思ったのは、一言でいって弥次が「21世紀型エリート」だと思っているからです。僕の師に、“極み”を知る、ある企業経営者の方がいらして、その方のさらに師匠に日本を代表する「知の巨人」がいます。おそらく100年先まで見えている方で、こんなことを言っておられます。今の世界は、すでに<成長を求めない世界>に突入している、と。
この時代に、ひたすら「成長がベスト」「もっと、もっと」と高度成長期の世間様教的価値観を振り回していても、限界点を過ぎているのですから、空回りを重ね、遅かれ早かれ衰退を迎える、というお考えです。弥次はそれを無意識のうちに肌感覚で察知して、生きているのではないでしょうか。
高橋: 買いかぶらないでよ(笑)。俺がただ海が好きなだけです。
―― いや、いろんな意味で、弥次は先端を走ってるとずっと思ってます。だいたい、いつの時代も先端を走ってる人は、大衆から理解されないし、本人も先端を走ってることに気づいていないものです。こんな話を聞いたことがありますか。20年ぐらい前に、社内の研修会で聞いた話なんですが、ずっと自分の中でひっかかっていて、原典を探してますが、いまだにわかりません。南米か中米の話だったので、そのあたりの哲学者の話かもしれませんね。以下は、日本人読者にわかりやすいように日本の地名に変えてみました。
「西表島で休暇中のビジネスマンが、浜辺で寝転んで 穏やかな大海原を眺めていた。しばらくすると、釣ったばかりのマグロを何匹か乗せた小船が突堤に着き、一人の漁師が船からおりてきた。
「たくさん釣れましたね。釣るのにどのくらい時間がかかりましたか?」
「いやー、時間なんてたいしてかかってませんよ」
「もっと時間をかけて、もっとマグロを釣らなかったのですか?」
「家族には、これだけあれば十分ですから。。。」
「そうですか。ところで、一日をどうやって過ごしているんですか?」
「ゆっくり起きて、ちょっと釣りをして、子供たちと遊んで、昼食をとって、昼寝して、晩になると友達とお酒を飲みながら歌っています。楽しく充実した毎日をおくっています」
「多分私はあなたのお力になれそうです」 ビジネスマンは得意気にいった。
「私はハーバードのMBAをもってましてね」
「MBA?なんのことですか?」
「まあ、いいです。あなたをもっと幸せにするアドバイスをさせてください。いいですか、先ず、もっとマグロ漁に時間を割きましょう。キャッシュが必要なのです。もっと大きな船を買うためです。だから、もっとキャッシュをためて、何艘かの船を買いましょう。そのうち、一隻の大型船を購入できればしめたものです。魚は中間卸売業者は通さずに、加工業者に直接卸しましょう。最終的には、自分で缶詰加工工場を作ってしまいましょう。そうすると、商品、生産、販売をすべてコントロールできます」
「そうすると、どうなるんですか?」
「この小さな島を出て、那覇に進出できるでしょう。さらに福岡、そして会社がもっと大きくなれば大阪や東京にだって進出できるでしょう」
「すいません、でも、そこまでいくにはどのくらいの時間がかかるんですか?」
「10年。いや、20年ぐらいかかるかもしれません」
「それで、その後はどうなるんですか?」
「まさに ここからが、この計画の醍醐味なんです」 ビジネスマンは微笑んだ。
「タイミングさえ良ければ、会社を公開できます。何十億円も手に入ります」
「何十億円もですか。。。で、その後はどうなるんでしょう?」
「そうですね、そうしたら引退して、田舎に帰れるでしょう。小さな海辺の村に住んで、ゆっくり起きて、ちょっと釣りをして、子供たちと遊んで、昼食をとって、昼寝して、毎晩、村に行って友達とお酒を飲みながら歌ったりできるようになります」
高橋: あっ、その話、どっかで聞いたことあるよ。「それなら成功してお金持ちになっても今の生活に戻るだけ。だったら今のままでイイじゃないですか」と漁師は言ってるんだな。その意味、よくわかります。
―― でしょ。さっき触れた大先生は「人類の歴史の大きな曲がり角」という表現を使って、資本主義が終わった後に来る社会がどんなものかについてずっと考えておられます。長い長い人間の歴史の中で 産業革命以降の都市の生活って、ほんのわずかな時間に過ぎない。だから、そもそも人間には向いてないんじゃないか、と。
それから、人口増についても警鐘を鳴らしています。生物って、生存に適した環境にいると、ある時点から爆発的に数が増えます。ところが、環境の限界に近づくと増殖スピードが急に落ちて安定期に入ります。バッタの例でいえば、異常発生して草原を食べつくした後に、一気に数が減るのです。資源に限りのある地球という星に生きる人類も同じではないか、と。人類は19世紀までは微増を続けてきたのに、20世紀、特に60年代に爆発的に人口が増えました。ところが、今や日本や欧州等で少子化が深刻な問題になっています。一説では、日本の人口は今世紀末までに5千万人をきり、その後も減少は止まらないそうです。
高橋: 難しいことはわからないけど、言っていること、感覚的にわかります。
―― 弥次の場合、関東を代表する旧家に生まれて、変革期の時代の波に翻弄されたけれど、「極み」を経験しているからこそ、この寓話の本質的な意味がわかるんじゃないでしょうか。きっとそういう経験をした人にしかわからない世界があるのです。
高橋: そういえば、曽祖父の屋敷の敷地内には鉄道の駅があったな。。。そう、急に思い出したけど、昔の家の蔵の梁には、「積善之家必有餘慶」ってのが書いてあったんだよ。意味は、「善行を積み重ねた家には必ず良いことが訪れる」みたいなことなんだけど、曽祖父がこのコトバが好きでね。もう一つは「和楽」という言葉。人に請われるとよく色紙に書いてました。とにかく、子供の頃は存命で、よくこの二つについて聞かされたものです。曽祖父は特待生で奨学金をもらって慶應に行き、当時の理財科理財部(現在の経済学部)を首席で卒業して金時計をもらった秀才で、まさに徳の人でした。
そうそう、英語も話せたんです。俺が中学生の時に、姉貴の交換留学でアメリカ人の男の子が家にホームステイで来てたのですが、今市(日光)の家に連れて行った時、客間に通して曽祖父に会わせたんです。そうしたら、テーブルの上に古いヨセミテ国立公園の鉄でできたタバコケースとマッチケースが置いてあって、それを見た交換留学生が「こんな物は今のヨセミテでは売ってない。何でこんなもんがここにあるんだ!?」って吃驚してました。俺も知らなかったのですが、いきなり曽祖父が英語で喋り出して面喰いました。「それはね、自分が若い頃、船にのって三か月かけてアメリカに行った時に買った物だよ」と、おもむろに話し始めたんです。当時は日本人で英語を喋れる人は少なかったし、ましてや90歳近い爺さんが英語を喋るもんだから、その彼は仰天してました。なんか久々に思い出させてくれてありがとう。
―― いえいえ、そうやって、故人を思い出すことが、最大の供養じゃないでしょうか。もちろん、お墓に行くことも大切ですが。
高橋 同感です。いずれにせよ、確かにあの頃まではうちも栄華を極めたけれど、今は何も残ってないからさ。。。
―― そこなんです。「スローライフ」とか「ロハス」とかいろんなコトバを使って、幸福感受性を高めようとしている人はたくさんいるけれど、「極み」を経験した人にしか、本質的な意味で新しい時代の新しいムーブメントは引っ張れないんじゃないかな、と僕は思うのです。
それから、麻布で生まれ育って、幼稚舎から慶應の弥次が、栃木県でも地元の人たちとうまくやっているのは、凄いなと思います。いろいろ価値観も相当違うだろうし、なかなかできることじゃないでしょう。
高橋: いや、地元では誰でもうちの名前は知ってるし、それに助けられただけです。ただ、俺は昔から誰とでも仲良くやれます。きっと人間が好きなんでしょう。人は違って当たり前。違うことが楽しい。自分をゴリ押しすることもないし、かといって相手を一方的に受け入れることもしません。ただ自然体で接するだけです。
―― 言うは易しです。99%の人はそれができないんです。己の信じる道を進んでいる弥次に刺激されました。僕も、師や大先生を目指しつつ、20世紀型と21世紀型の価値観を両方理解し、100年先が見える人間になりたいと思っています。おそらく今年の末から来年上半期にかけて米国金融界で大きなことがおき、弥次的生き方がクローズアップされる時代を迎えるはずです。混乱と混沌の激動の時代ですが、僕も「8Z」(ヤズィー:東洋における縁起の良い数字“8”=すえひろ+英語圏のアルファベットの最後の文字をかけた高橋彌次右衛門氏の造語)にあやかりたいですね。今日はありがとうございました、8Z。
高橋:こちらこそ、ありがとうございます。こんなんでいいのかな~(笑)。
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