花見 忠の読書日記1
筆者の新報への寄稿は、多くが専門領域の法律問題を始め政治,社会問題が中心になりがちであるが、このコラムでは筆者がたまたま手にした書物の中から、役に立ちそうなもの、感銘を受けたものを、幅広い領域にわたり、適宜ご紹介して行くことにしましょう。
川口ローマン著『住んでみたヨーロッパ
9勝1敗で日本の勝ち』(講談社+α新書)
著者は、シュツットガルト在住のピアニストであり、ドイツ人と結婚して2児の母でもある上に、日独を股にかけての活動を通じて比較文化論的考察でも才能を発揮する才媛である。この書物に先立って『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』と題する書物を昨年出版、一躍ベストセラーになったようで、今回のものは同様の視野をヨーロッパ全域にまで広げたものである。
第1章は「泥棒天国ヨーロッパ」と題し、ヨーロッパは何処へ行ってもスリや引たくりに遭遇する実情を、具体的事例の巧みな紹介によって納得させられ、第4章ではスペインの闘牛と日本のイルカ漁とを対比し、後者はシー・シェパードなどには目の敵にされているが、闘牛の方が遥かに残虐な見世物であることを対比するなど、この本の腰巻広告での「EUは崩壊する……世界一の楽園は日本!」という宣伝文句にあるように、日本では兎角先進国として崇められているヨーロッパは、実は日本と比較にならないくらい非文明的で、暮らし難い社会であることが、極めて豊富な実例によって中々説得的に叙述されている。
昨今、何かと自信喪失の傾向が強い日本人のセンチメントに対し、ヨーロッパで不便を克服しながら生き生きと活躍している著者の心意気が清々しい。
安西水丸著『地球の細道』(A.D.A.EDITA Tokyo)
この書物は、著名なイラストレーターである著者が、地球上の各地92か所のスポットについて、それぞれの土地の風物のまことに楽しく・微笑ましいイラスト満載で、同時にその土地の歴史、文化、たたずまい等を巧みに描いたエッセイを集めたものである。
A5版379頁というどっしりしたハード・カバーだが、それぞれの土地の情景や風物を描いた、この著者の飄々とした人柄が偲ばれるイラストはあくまで軽妙で、美しく、ぱらぱらとめくっているだけでも引き込まれてしまうような、「地球の細道」というサブタイトルに相応しい、魅力あふれた一冊である。
著者は、本職はイラストレ―タ―だが、本書のエッセイを読む限り、世界各地の歴史と文化について、尋常でない該博な知識を持つ教養人であったことに驚かされる。
ここではこのような意味で、私個人にとって無縁ではなかった土地でありながら、本書により今更ながら改めて知ることができた代表的なアネクド-トの一例として、ニューヨークについての記述を紹介しよう。
著者は、子供の頃からの映画好きで、エンパィア・ステート・ビルを目にすれば、製作・監督メリアン・C・クーパー他の「キング・コング」、トム・ハンクスとメグライアン共演の「めぐり逢えたら」の情景を目に浮かべ、グッゲンハイム美術館あたりではウッディ・アレン監督の「マンハッタン」などそれぞれのシーンを目に浮かべ、うっとりと時を忘れるといった具合で、これらの情景を描いたイラストが、著者独特の哀愁に満ちながらちょっと軽妙洒脱でもある独特の筆使いとくると、読者はもう一度ニューヨークに出かけたくてたまらなくなること必定である。
旅行業者の団体からは、昨年帰らぬ人となられた水丸さんが逝去される前にツーリズム大賞を献呈すべきだったと思ってしまう。
全国老人福祉施設協議会『還暦川柳』(宝島社)
長生きは したくないねと ジム通い
大事なら しまうな二度と 出てこない
物忘れ 増えて夫婦の 会話増え
朝帰り むかし夜遊び 今徘徊
この本を開いた途端に、このような洒脱な作品が一頁に一句大きな活字で印刷されていて、読みながらついつい笑ってしまうのは、筆者の年のせいか?
編者に当る公益法人が毎年公募している60歳以上の方々の川柳5000を超える応募作品から、百句ほどをこれも中々楽しめるイラスト入りで掲載したもの。
最高齢は奇しくも筆者と同年令の84歳の方の次の一句だが、ぼけるどころか迫力十分でおそれいる。
ぼけたまま 長生きするぞと 脅してる
岡田年正著『大東亜戦争と高村光太郎』(ハート出版)
この本は、恐らく著者の言う「大東亜戦争」、一般には「太平洋戦争」についての歴史観の如何で評価が真っ二つに分かれるだろう。著者は「高村光太郎と少女」と題する修士論文を出版した著書と高村光太郎についての多数の研究論文を高村光太郎研究会編の『高村光太郎研究』という専門誌に発表している、文字通り高村光太郎一筋の研究者である。
高村光太郎は、一般には『千恵子抄』などの詩集と十和田湖畔の裸婦像の彫刻家として知られているが、思想的には戦時中に忠君愛国の思想を鼓舞する詩を発表し、その為に戦後の一時期には戦争に協力した責任を問われたことは、最近の若い方にはあまり知られていないかも知れない。高村と同様に戦争中に戦争を肯定するような発言をした文筆家の大多数が言い逃れの言辞を弄したり、正面からこの問題と向き合うことなく口を拭って済ませたものも多かったが、高村は「岩手の山中にあって静かに「自己流謫」の境涯に甘んじながら、
新年には、小屋の前に日の丸を立てようとおもう/
私の日ノ丸は原稿用紙。/
原稿用紙の裏表へポスタ・カラアで/
あかいまんまるを描くだけだ/
それをのりで棒のさきにはり、/
入口のつもった雪にさすだけだ/
と詩いつつ、素朴な愛国心を抱き続けたことなどを紹介しつつ、高村の戦中・戦後の身の処し方を逐一追求したこの本のスタンスは、戦中・戦後の日本人の生きざまについて、改めて考えさせる一冊である。著者のこのような立場は、小田切秀雄らに代表される新日本文学の文人達の戦争責任追及の立場と一線を画した吉本隆明よりもさらに高村の戦後の身の処し方を肯定的に捉えたものとして、文学史としてもユニークな高村光太郎研究といえよう。
小嶌典明著『労働法の「常識」は現場の「非常識」』(中央経済社)
この書物は、たまたま筆者の専門領域で、中身もかなり詳細な分析がぎっしり詰まっており、一般読者向きとは言えないが、著者は高名な労働法学者でありながら、労働法の学説の圧倒的多数がどれもこれも金太郎飴のように似たり寄ったりで、まさに著者の言う現場の「非常識」であるのに対し、毅然としてこの非常識をえぐりだして解説しているところから、ビジネスマンの読者諸君に一読を強くお勧めしたい一冊である。
著者の言う「現場の非常識」を「常識」とする労働法の学説は、厚労省の役人だけでなく、大変困ったことに裁判官までがこの「非常識」に後生大事に大真面目で追従して裁判が行われているのが実情であり、これが我が国の労働の現場でどれほど障害となっているかを、この書物は根気よく説得的に解説している。人事労働の実務だけでなく、企業経営に関心
のある読者の一読をお勧めする所以である。
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