日本は貧しい国を救えるか?
エボラ出血熱の感染拡大はもはや当該地域の問題ではなく、9月18日の国連安保理の特別会合は国際社会の平和と安定にとって脅威と位置づけ、緊急支援策を全会一致で決議した。西アフリカでの感染と流行の大きな要因の1つにこれら地域の貧困問題が指摘される。十分に医療や教育等が整っていれば、これほどに急激には流行しなかったであろう。
米国の経済学者ジェフリー・サックス氏は「こうした感染症はグローバリゼーションの新たな象徴である。・・・高所得国は地球規模での疫病の監視、WHOの活動能力の拡大、致死性の病気に関する生物医学研究に投資を継続しなければならない。国家予算に余裕がないとしても、人類の存続を予算制約にゆだねるのはあまりに無謀だ。」と述べている(2014年9月1日日本経済新聞朝刊)。
日本は「西アフリカ諸国におけるエボラ出血熱の流行に対する緊急援助」として総額約408.7万ドル(約3億9,490万円)を支援するとしている(平成26年9月9日外務省報道発表、他に約5億円の支援予定ともマスコミ報道に見る)。因みに、ビル&メリンダ・ゲイツ財団はエボラ出血熱への対策支援として5,000万ドルを寄付すると表明している(2014年9月11日ロイター等)。
世界の最も影響力のある100人の1人、最も影響力のある現代の哲学者と言われる言行一致のピーター・シンガーの『あなたが救える命世界の貧困を終わらせるために今すぐできること』(勁草書房)が2014年6月25日に発行された。帯文には「豊かな国に住む私たちには、貧しい国で極度の貧困にある人々を援助する義務がる」と書かれている。シンガーは人種差別・女性差別に意義を唱え、さらに動物解放でも知られ、倫理を考究し、啓発し、実践している。『実践の倫理』『動物の解放』『生と死の倫理』『グローバリゼーションの倫理』など邦訳書も多い。
本稿は倫理学、道徳哲学、シンガーの思想と実践を論じる字数も趣旨も持ちえないが、『あなたが救える命』をふまえ、日本人と日本政府のあり方について、いくつかの論点と所感を述べてみたい。
倫理は倫理学があるように学問の対象であり、アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で倫理学を構築し、政治学・ポリス学によって完成されるとし、なお、理論知と実践知を分けている。実在(独語Seinザイン)と当為(独語Sollenゾルレン)があり、(自然)科学はSeinを対象とし(異論もある)、古来より様々に徳目が挙げられているが、倫理(的行為)そのものは必ずしも合理的・演繹的に導かれるものではない。
では、シンガーはどのような論述を行っているのか。同書はいくつかの視点から倫理的議論を展開し、「新しい寄付の基準」という現実的なアプローチに至っており、筆者が特に気になった箇所・論点を紹介したい。
1つは道徳的な直観に関する下記の基本的な論理的な議論である。
第一の前提:食糧、住居、医療の不足から苦しむことや亡くなることは、悪いことである。
第二の前提:もしあなたが何か悪いことが生じるのを防ぐことができ、しかもほぼ同じくらい重要な何かを犠牲にすることなくそうすることができるのであれば、そのように行動しないことは間違っている。
第三の前提:あなたは援助団体に寄付することで、食糧、住居、医療の不足からの苦しみや死を防ぐことができ、しかも同じくらい重要な何かを犠牲にすることもない。
結論:したがって、援助団体に寄付しなければ、あなたは間違ったことをしている。(同書p19)
シンガーが言うようにこの基本的な議論には論争の余地はないであろう。問題はこの議論を受け入れた場合で、実践のあり方である。同書ではビル・ゲイツやウォーレン・バフェットらを話題にし、寄付に関する心理学的実験も敷衍する。そして、寄付に関する基準(所得層に応じた寄付のパーセンテージ)を提示する(基準の詳細は同書p222表1・p223表2等を参照)。シンガーは、この基準に対し、十分以上の所得であっても借金の返済などで月末にはほとんどお金が残らず、自由に使えるお金ははるかに少ないというある夫人の主張を紹介している。シンガーはこの主張に対して、基準の微調整をしている。
シンガーまた、政府開発援助実績の対国民総所得(GNI)比(2006)にふれ、国連ターゲットの0.7%にアメリカ(0.18)、日本(0.25)は遠く及ばないと警鐘を鳴らす。
同書は極度の貧困にある人々を救う豊かな国に住む個人の寄付を論じるものであるが、本稿前2段落に関連して、筆者は所得を基準とする論拠はあり得るものの、必ずしも適切ではないとも考える。個人でも国・政府でも十分な所得と十分な剰余金があれば問題はない。十分な所得も十分な剰余金もない場合もそれほどの問題はないであろう。問題は十分な所得があっても、剰余金がない、あるいは莫大な借金がある、また債務超過である場合である。
日本の累積債務は1,000兆円を超え先進国中最悪の惨憺たる状況で、あと3~4年で1,000兆円の借金は実物資産・個人金融資産を上回る。2012年国民経済計算によると一般政府部門の正味資産(期末貸借対照表勘定)は平成23度末にマイナス17.6兆円、平成24年度末にマイナス38.8兆円で、おそらく平成25年度末にはなお一層拡大しているであろう。日本の経済成長は疑わしく、徹底した行財政改革とともに、消費税の20~30%への早期の引き上げと社会保障費の大幅削減が実施されなければ、ハイパーインフレと結果としての財政破綻は避けられないと言う有識者もいる。先の大戦の敗北と復興、あるいは韓国のかつての財政破綻とIMF管理をイメージすればよい。財政再建と財政破綻後の復興にあたっては、リスク分散した富豪を除いて、多くの個人の可処分取得は大幅に減り、破綻後はもちろん失業率も大幅に上がるであろう(ローンの返済は有利となり、その際たる当事者は日本政府である)。もちろん、日本の財政が破綻しても、個人や企業は破綻するわけではないが、家計や企業経営によいことはなく、日本の経済と社会に深刻な影響をもたらす(ハイパーインフレなし、財政破綻なしという見解もある)。
日本国内での格差問題もある。社会的効用のための所得再配分(主に累進課税による。フリードマンの固定税制もなお注目に値する)がなされているが、急速な高齢化が格差拡大の1要因ともされ、不十分な取組みとも言われる。
日本の2014年国連通常予算負担率は0.833%/276.5百万ドルで米国に次ぐ(滞納もない、非常任理事国になるのさえ容易ではない)。2011年のODAはOECD-DAC加盟国中で支出純額は世界第5位、支出総額は米国に次ぎ世界2位となっている(中国に対しても開発援助をしている)。なお、米国は財政の規律に厳しく経常収支は改善し、ドイツは国債発行がゼロになるという。
国連分担金は経済規模に応じ、財政や好不況は考慮されない。日本は先の大戦からの復興で世界からの援助も受け、また、発展途上国への貢献や安全保障上のいわばお付き合いも必要という面もあろう。
しかし、日本の極めて厳しい財政と財政再建が困難な状況をふまえ、ここで、シンガーの寄付の基準に話を戻すと、所得があっても家計が苦しい夫人のコメントが思い出される。日本人と日本政府に極度の貧困にある人々を援助する義務(・・)があるだろうか。できるだろうか。
因みに、経団連の1%クラブは法人会員で経常利益の1%以上、個人会員で可処分所得の1%以上で、売り上げや所得ではない。法人に限って言えば、赤字でも寄付をするというのは自社の経営の継続性、従業員への給与、取引先への適切な支払、株主への配当、納税を考えると、おそらく難しいであろう。
資本主義の今後のあり方と日本経済の成長の是非の議論は別にして、過去と現在世代のための借金を将来世代の負担へと先送りすることは、倫理また社会的責任に反すると言えはしまいか。『大学』には「修身斉家治国平天下」とある。
日本の財政破綻とそれに伴うであろう不況あるいは恐慌はまた、世界の大きな迷惑ともなろう。破綻懸念で余裕云々どころではなく、資金ではなく、より技術によって、あるいは富豪の個人の寄付で極度の貧困にある人々を救うことはできる(富豪は日本の貧困者へ寄付すべきかもしれない)。CSRとしてのBOPビジネスもよい。
筆者の愚見は、日本の政府は財政再建を第一の政策と実行とし、日本人は足るを知る人生を歩み、借金も環境汚染も福島第一原発の廃炉費用も将来世代に負担させず、世界の経済的な意味での問題児とならないよう、自律し、そして、実質的に身の丈に合わせて国際機関へ資金拠出し貧困国へ寄付することが肝要ではないか、というものである。
エボラ出血熱、シンガーの実践倫理、日本の財政・経済、等々、これらの最適解はいかにあろうか。
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