ミリキタニの猫を見る。
NYの路上芸術家ツトム・ミリキタニ80歳を追いかけるドキュメンタリー。
全編ハンディカムで撮られた映像はサクラメント生まれの日系アメリカンの彼の生きざまを描写していく。
彼はNYの街角で路上生活を送りながら、印象的な猫や風景の絵を描く。
その絵は地元で評判になりネットで販売される程だ。そんな彼に監督は近づき友達になり、絵の購入と引き換えに映画を撮る約束を交わす。取材を重ね徐々に二人の関係が構築されてきた中でミリキタニは自分が広島出身で親族全員が原爆で消滅した事や、自分達がアメリカ人であるにもかかわらず収容所に入れられ市民権放棄を強いられた事を話し出す。その表情は自分達を裏切ったアメリカという国への恨みや憤りで覆われ、それを語る彼の決して上手ではない英語がさらに彼の主張や生きざまを鮮やかに抉りとる。
ある日、911が起こる。慌てふためく人々を尻目に路上で黙々と描き続けるミリキタニ。後に彼は非常に印象的な作品を描き上げる。やがて街は有害な煙でみちあふれ監督は自宅へ彼を招く。一時避難と同時に自立を支援しようと思い立ったのだ。資格があるにもかかわらずアメリカ政府から年金を貰う事を頑なに拒否するミリキタニだが、地域住民に絵を教える事を通じ他者との関わりを深めて行く。やがて彼は自立し、生き別れになった姉や従兄弟の家族の存在が明らかになるにつれ旅行を決意する。その旅先は度々絵に出てきた彼の原風景である収容所を訪ねる事だった。彼はそこで死んでしまった小さな友達を弔いたいのだ。彼と監督はツアーに参加する。何もない砂漠の真ん中でコンダクターのとつとつと事実のみを告げていくアナウンスが心に刺さる。だが帰りのバス車内でミリキタニに変化が起こる。アメリカに対する生々しい思いが昇華するのだ。その変化は映像を見ない限り伝わらないだろう。
そして以降の彼の表情は安らいだものとなっていく。ミリキタニは新しい人生の扉を開け、再び力強く歩き出したのだ。かつてアメリカは自国アメリカ人の自由を奪い涙を奪い仕事を奪い友達を奪い家族を奪った。
だが最後までミリキタニは奪われなかったのだ。同時にミリキタニは日本人を演じていた。
我々の祖父達はミリキタニの様にパワフルに創造し笑い歌い戦い、そして悲しんでいたのだろうか。
*2012年10月にツトム•ミリキタニ氏は逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
<ミリキタニの猫 2006年 アメリカ リンダ・ハッテンドーフ監督>
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