インターネットというモヤモヤ
インターネット(以下ネット)の根源はよく「核攻撃下でのコミュニケーションの生き残りを想定して開発された」と言われており、そもそもが1940年の米国国防総省の全米防衛研究委員会(マンハッタン計画の策定で有名)から始まった米軍の組織が生んだ成果物なので、そうみなされてもしかたない面もある。ところが当事者のローレンス•ロバーツという人が「核戦争を避けるためのネットワークがインターネットの母胎になったという説が、いかに<おいしい>話であろうとも、当時のARPAネットの計画責任者として、それは断じてなかったと証言する。」と著述をしており、これが嘘でも本当でも彼がネットの開発者である名誉は変わらないので案外本当かもしれない。それでは仮に軍事目的以外で開発されたとするならばネットの発達とは何かというと「つながりたいという人間の欲求が次々にバトンされてきた物語」で、「同時に超優秀な頭脳を持った最先端の人達が自分の技術を惜しみなく分け与え、誰も自分の権利を主張せずに喜んでアンサング•ヒーロー(縁の下の力持ち)に徹した物語」という定義づけもできる。もしホームページの規格<HTML>やEメールの基礎技術<TCP/IP>の開発者がその権利を主張していたら、彼らは史上最大の億万長者になったかもしれないが、ここまでネットは普及しなかったであろう。ちなみにホームページの規格を開発したサー•ティモシー•バーナーズ=リーという人物だ。彼が作成した世界初のホームページのサーバーは、スティーブ•ジョブズがアップルを追放されていた時に造っていたNeXTマシンが使われていた事はスティーブ•ジョブズ自身もそんなに喧伝しなかったせいか、あまり知られていない。
さて現在ネットは順調に技術進歩やコスト逓減の助けもあり発達し、私たちの生活インフラに密着する存在になった。その普及の速さに違和感がある人もいるだろう。その正体とはネットと、私たちが慣れ親しんできたテレビ•新聞•ラジオ型ネットワークと殆ど対極にいるからだと思う。テレビ•新聞•ラジオのネットワークはピラミッド型の構造で1つのコンテンツを均一の端末 (TVや紙)が多数存在して受信する仕組みだ。そしてその均一の端末からは情報を発信する事はできない。一方ネットは雑多な端末が格子構造でかつ複数階層で成り立っていて、どの端末をみても情報の発信と受信という両方の機能を持っている事にある。この2種類のネットワークは基本設計から全くから違うので、一方で正しいと思ってやっている事が他方からは成立しない様に見えてしまう。ホリエモンとフジテレビとの衝突は記憶に新しいが、ホリエモンの言っていた「メディアとネットの融合」を今、改めて眺めると世界の潮流になっている。いずれにしろ違和感の根源というのは個人が全体に大きな振動というか影響を与える可能性を誰でももてるようになってしまった事に対して我々自身が使いこなせないという不安というか予感なのではないか。そして今、我々はとんでもなくワクワクできる時代に生きている。
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