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御成門新報公式サイトオープン

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近代から現代に至るまで、人類社会の発展を支えてきたのは科学技術の発展でしたが、その基礎は 17世紀にデカルト•ニュートンによって確立された近代合理主義に立脚した近代科学の上に基づいています。それは「機械的世界観」と「要素還元主義」を柱とする思考の枠組み(以下パラダイム)で成立している学問です。機械的世界観とは「世界がいかに複雑に見えようとも結局は一つの巨大な機械である」という捉え方を指します。要素還元主義とは「人間が何かを認識する時にその対象を単純な部分の要素に分類•分割し、その分類した要素を詳しく調べ、問題があればその部分を修復し再び元の形に戻せば良い」という捉え方です。この2つのパラダイムは世界が農業化から工業化へ変化していく中で「無ければ造るしつくれば売れる」という状況の中、恐るべき切れ味をみせました。

 ところが、この 2つのパラダイムは今、息切れを起こしています。それは機械的世界観においては「全体を部分に分割する都度、全体に内に含まれる大事な何かが失われていく」、要素還元主義においては「重要でないと考えられる要素は捨て去っていく事にならざるを得ず、何が重要で何が重要でないかの判断は当事者が所有する思考の枠組みによって独断的に決められてしまう」という各々の限界点が見え始めているからなのです。つまりこれらは 2項対立の思考、分離分割の思考とも言え、主観と客観や全体と部分をそれぞれ対照的に分析的に捉えてその反対の一方を捨て去るという思考形式では現代事象が捉えられなくなってきた事を指すのです。

 しかし、よく考えてみるとみるとこれらのパラダイムは近代に発生したものです。そしてその近代のパラダイムという眼鏡をかけて現代を理解する事自体に無理があるのではと私たちは考えました。

 そこで私たちは かつての偉大な先人達のように、メディア運営を通して現代にふさわしいパラダイムを「独立不覊、不偏不党、官民調和」に基き、知足利他の視座で読者の皆様と創成していきたいと考えるに至ったのです。
御成門新報は読者と共に現代そして未来へのパラダイムを紡いでいくオープンエンドのインターネットメディアを目指し歩んで参りたいと考えています。

沈黙のDNAと議論のDNA

大正時代に阿波研造という弓道の師範について弓術を学んだドイツ人がいます。哲学者オイゲン・ヘリゲル。弓術をスポーツと考えた他の欧米人と違って、ヘリゲルは弓道の精神を学ぶ覚悟で阿波師匠の門をたたきました。



 しかし、実際に始めてみると、異文化の壁の高さは想像を絶するものでした。日本の伝統芸の世界ではより一層この傾向が強いようですが、言葉を使って理路整然と技術を教える、という考え方がそもそも根底にありません。たいてい師匠は無言で、たまに口を開けば「弓を射ることは、弓と矢をもって射ないこと」などという、禅問答のような会話を展開します。日本人でも混乱するのですから、おそらくヘリゲルの頭の中は混乱を極めたはずです。



 しかし、ヘリゲルは辛抱強い男でした。見様見真似で少しずつコツを掴んでいく過程で、無心、つまり自然体の重要性に気づくのです。



 ところが、師匠はそんな彼を一蹴したのです。



「あなたは無心になろうとしているが、それは故意の無心である。それでは先に進めない」



 このエピソードは、異文化の壁を打ち破る上で、重要な示唆を与えてくれます。母国文化と異文化の違いは、頭でわかっているつもりでも、なかなか本当には理解できないものです。悪気はなくても、無意識のうちに欧米の不文律を犯す日本人は後を絶たないのです。



◆ 「言わなくてもわかるはずだ」という幻想



「この案、なかなかいけそうだね」「そうだね、これでいこう」

 

 腹芸、あうんの呼吸、以心伝心。読者の皆さんの職場でもよく見かける光景ではないでしょうか。伝統的に、日本人は短く伝えることが得意です。ある意味で、細部の論理を第一に考える欧米人よりも、日本人は高い視点から瞬時にものごとを判断することに長けているともいえるでしょう。



 一方で、短文化や非文化傾向は、論理の蔑視にもつながっていきました。論理を追求したり、たくさんの言葉を用いてより明確に説明しようとすると、「理屈っぽい」「あからさまだ、ずけずけ言うな」「巧言令色、鮮矣仁」(ルビ=すくなしじん)等とたちまち一蹴されてしまう土壌が日本にはあります。これはビジネスでも決して例外ではなく、契約書ひとつをとっても、この傾向は否めません。

 

 「理屈っぽい」という表現の裏には、「言わなくてもわかるべきだ、わからなければ相手が悪い」と考えがちな日本人の精神構造が潜んでいるのではないでしょうか。何よりも大切なことは、以心伝心、つまり相手の気持ちを察する能力であり、空気を読む力であり、それをせずに「ごちゃごちゃ」言う相手はマナー知らずの鬱陶しい存在として一蹴されがちなのです。「とにかく、やり直せ」「ダメなものはダメだ」と上司に怒られた経験のある方は少なくないでしょうが、こういう時、案外その上司の頭の中では、具体的に何が問題かを明確には把握していないこともあるはずです。



 短文化傾向は、言い換えれば、なんでも「自明」として省いてしまう省略志向ともいえるでしょう。「そんなわかりきったことを言わせるな、言うな」という発想です。こうした非言語化は、文化としては大切ですし、その良さもわかるのですが、議論においてはデメリットが目立ちます。先ず、普段から言葉を使って論理的に考える機会が減ってしまいますし、次に述べるように議論しなければならない局面でさえ効果的な対話ができない人たちが生まれます。



 言葉を大切にする文化においては、言わなければ決して伝わりません。「言わなくても分かるはずだ、察することのできない奴が悪い」というのは、思い込みに過ぎません。異文化コミュニケーションでは、役に立たない甘えなのです。

 

 大切なことは、世界には言わないと分かってくれない人たちもいる。そういう異質な人たちとつき合っているのだ、と認識することです。お互いの違いを認めて、寛容の気持ちで接すること、それが異文化コミュニケーションの基本なのですから。



◆ 「ハート」(感情)の日本、「マインド」(理性)の欧米



 ある外資系日本法人の社長だったAさんは、ある日、出張中の本社役員(米国人)からホテルの部屋に呼ばれました。部屋に入るや否や、嫌な感じはしたのですが、その予感は見事に的中しました。「君のパフォーマンスには落胆した」という言葉から始まり、お前の無能さには呆れた、お前のせいで本社は莫大な損失を被った、と延々と演説を聞かされた挙句、即刻退任を迫られました。この種の人格攻撃に慣れていないAさんは、完全に頭に血が上ってしまいました。



 そんな矢先、役員の横に座っていた弁護士が、「この書類にサインしてください」とおもむろにつぶやいたのです。カッとなっていたAさんは、特に契約書の内容を詳しく読むこともなく、「ごたごたと煩い、辞めてやる」と啖呵を切ってサインしてしまいました。その契約書には、二年前の社長就任時に決めてあった様々な解任時の手当てを無効とする内容が記されており、それにサインすることで「同意」したAさんは、本来もらえたはずの解雇金パッケージの一部をもらい損ねました。



ハートの部分では頭に来ても、マインドを切り離して、冷静に対処するべきだったのです。稚拙な恫喝に呑まれずに「弁護士と相談してからご連絡させていただきます」と早めに部屋を後にしていれば、そんな状況は簡単に回避できたのですが。



このように、日本人は「感情と理性」あるいは「人格と主張」を切り離すことが得意ではないようです。ところで、日本の英和辞典では、「ハート」も「マインド」も同じく「こころ」と訳されています。しかし、この二つは本当に同じなのでしょうか?



 答えはNo.です。



 ハートとマインド : 実は、この二つは対極にある言葉なのです。

 ハートは感情(こころ)であり、マインドは理性(あたま)のことです。

 

 一般的に、日本人は「心を説明するには多くの言葉を必要としない、頭で考える必要はない」と考える傾向があるようです。一方、欧米人やインド人あるいは中国人は、「心の解釈には、多くの言葉を必要とする、頭を使う必要がある」と考えます。精神分析学が欧米で発達したのもそこに端を発するのではないでしょうか。

 

 宗教にしても同じです。ある意味で、心の在り方を論じるものですから、言葉を駆使すれば表現可能なものと考えられているのかもしれません。確かに、主要宗教においても、膨大な経典が残されています。仏教においても、経典の数は多く6千近くあるといわれていますが、その原典の多くはインド人によって書かれ、中国人によって翻訳や解釈されたものでしょう。



 一方、日本の宗教はどうでしょうか。一説では「経典がない宗教」と言われる禅宗を例に考えてみましょう。曹洞宗の開祖である道元には、経典、つまり言葉による釈尊の精神の概念化が、感覚的に受け入れられなかったのかもしれません。その証拠に、『正法眼蔵』は、「文字や言葉では真理は伝えられない」という前提のもと、極めて感覚を大事にして、悪くいえばロジック抜きで、書かれています(ただし、そもそも宗教にロジックがあるべきかという問題は残るのですが)。



 道元は、不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、直指人心(じきにんしん)等という言葉を基本概念として、禅宗を広げていったのですが、要するに言葉に囚われずに、修行を通して、ありのままを心で感じなさい、お釈迦様の気持ちを感じなさい、という教えに集約されます。これは、正にここでいう「議論においては相手の気持ちを以心伝心で汲み、ハートで感じなさい」ということになるのではないでしょうか。



◆ 議論に「心と心のふれあい」などない



 こうした環境のせいか、政治家も好んで「心と心の触れあい」という表現を用いて、民衆の「こころ」に訴えかけます。特に、政治家の失言の言い訳には、「真意は経済協力よりも、相互の国民的理解を前提とする心の触れあいを強調することにあった」などと、頻繁に使われているようです。この表現は(have) a heart-to-heart talkなどと訳されますが、少なくとも欧米人の感覚では、国家レベルで「ハート」などあり得ず、ピンとこないでしょう。そもそも、言い訳にさえなっていないのです。あるのはmeeting of the mindsです。「心と心」の対極にある「コトバとコトバの接触」のことです。言い換えれば、「頭と頭のふれあい」「原則と原則のぶつけあい」のことです。国レベルで言えば「イデオロギーとイデオロギーの接触」と言ってもいいかもしれません。「違いを認識した上で認めあう」(agree to disagree)という異文化コミュニケーションにおける基本姿勢を彷彿とさせる表現です。



 もしかすると、日本人の議論下手の原因の一つに、heartもmindも「こころ」と捉えてしまう感覚が挙げられるかもしれません。欧米人は、原則として、国レベルはおろか、会社の会議でも、a heart-to-heart talk (心と心のふれあい)などありえない、と考えます。「心と心の触れ合い」は家族やごく親しい友人のみの間で成立しうる感情の世界の出来事であり、「こころは、そう簡単には他人に見せるべきものではない」と考えられているのです。ところが「原則論はそのへんにして」が口癖の日本人には、これがピンとこないのです。



 もちろん、日本人に限らず欧米人とて「人間はみな理屈よりも感情の動物」と言うこともできます。しかし、欧米では、なかば強迫観念的に「議論において感情は出すな。何としても抑えろ。原則に忠実たれ」と考える人が多いのです。このため、感情論の対極にある論理、つまり(日本人が生理的に受けつけない屁理屈に近い)「理屈」を用いて説得を試みるのです。



 「理屈は美徳」と考えられている社会で暮らす人々(欧米人)と「理屈は悪癖」とみなされる社会で生きている人々(日本人)。そのまま議論をしても噛み合わないのは明らかではないでしょうか。



◆ 対話の文明



 1929年、アメリカの教育界に激震が走りました。ロバート・ハッチンスという人が29歳で名門シカゴ大学の総長に就任したのです。就任後、ハッチンスは変革リーダーとして、次々と大学の改革に乗り出しました。特に、大学は「知」を養う場所である、という信念を貫き、当時趨勢になりつつあった専門教育や職業訓練の場としての大学の位置付けに対して懐疑的な立場を表明しました。



 その彼が、The Tradition of the West(西洋の伝統)というエッセーの中で次のように語っています:



The goal toward which Western society moves is the civilization of the dialogue. The spirit of Western civilization is the spirit of inquiry. Its dominant theme is the Logos. Nothing is to remain undiscussed. Everybody is to speak his mind. No proposition is to be left unexamined. The exchange of ideas is held to be the path to the realization of the potentialities of the race.



「西洋社会が目指すものは、対話の上に成立する文明である。西洋文明の精神とは問い続ける精神である。その根本にあるものがロゴスといえよう。何事も議論なくして済まされることはない。誰もが自分の考えを口にする。どんな問題提起も検証せずに放置されることはない。意見・異見を交わすことこそ、我々の持つ可能性を確実に顕在化させる術なのである」



 ここでいう「問い続ける精神」とは何でしょう?



 先ず、「問い続けること」は簡単ではありません。質問というものは、自分で問題意識を持って考えなければ出てこないからです。考えれば考えるほど、疑問は生まれてきます。何事に対してもそういう姿勢でいると、自然と思考力がついてくるものです。しかも、情報化社会の中で有用な情報を取捨選択するための目、つまり健全なる猜疑心も養うことができます。



 常日ごろから、問題意識を持って、ものごとを考えていく姿勢と疑問を呈する勇気こそが西洋文明の美徳である、とハッチンスは主張したのです。筆者がたまたま「議論のDNA」というコトバを思いついたのも、きっと潜在意識レベルで、このハッチンスの言葉に大きな影響を受けていたからだと思います(因みに、第二章の内永氏との対話ででてくるアスペン研究所の創設にハッチンスは大きな影響を与えています)。



 ただし、筆者は欧米礼賛をするつもりは一切ありません。何事も、見る角度によって、陰と陽があるからです。 西洋文明は、ある面からいえば、殺戮と強奪の歴史でもあり、これは21世紀の今日まで受け継がれています。 世界中の紛争において「対話の文明」が活かされてきたかは、議論が分かれるところです。



 しかしながら、筆者があえて強調したい点は、「違いに対して寛容の気持ちをもって接する姿勢」の重要性です。つまり、異文化を絶対化せずに、良い面から「真似」(まな)び、自国文化の弱い面を補完していく姿勢のことです。この姿勢を体得できた人は、今後ますます国際化が深化していく潮流(うねり)の中で、より豊かな人生をおくることができるのではないでしょうか。


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著者紹介

スティーブ モリヤマ (Steve Moriyama)

☆☆☆ベルギー王国ブリュッセル在住 。英国ケンブリッジ大学院及びカトリック・ルーベン大学院(ベルギー王国)修士課程修了。米国ハーバードビジネス スクール GMP 修了。イングランド・ウェールズ勅許会計士協会上席会員 (FCA)、ベルギー王国公認 税理士協会正会員 (CTC)。『人生を豊かにする英語の名言』『英語社内公用語化の傾向と対策』など著書15冊。雑誌連載は、『クーリエ・ジャポン』『月刊・事業構想』『GOETHE』『日経ビジネスオンライン』など。好きなものは、海、酒、旅、犬、活字、薔薇。  フェイスブックID: meigen777 

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