「御成門新報」発刊に思う ― 21世紀の「和魂洋才」
「和魂洋才」といえば、福沢諭吉というのが我々の常識だが、戦後の思想史上比較的早い時期に公刊され、今日でも和魂洋才に関する古典的名著とみなされている、平川祐弘『和魂洋才の系譜・上』(343頁に及ぶ大著)では、我が国における和魂洋才の思想史的考察の中心には森鴎外がおかれており、福沢諭吉への言及は僅か2,3ヶ所に止まる。ここでは、『学問のすすめ』の「何ぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみを以テ学問というの理あらんや」の言葉を引いて、明治初年の「行動的知識人」としての側面が取り上げられ、また栗本鋤雲や渋沢栄一などと同時にナポレオン3世治下のパリの「文明開化」ぶりに「驚嘆」した「先覚者」としての言及にとどまっている。
ところがごく最近の文献で、明治18年(1885年)3月16日の「時事新報」に掲載されている「脱亜論」は無署名の社説のタイトルであり、「無署名なので福沢諭吉自身の筆によるものという証拠はない」との指摘がみられ、ちょっとびっくりさせられたが、「時事新報」の「論説主幹で創刊者は福沢諭吉だから、「脱亜論」のコンセプト自体は、福沢の思想に即していたとみて間違いない」ということで(西村幸祐「韓国化する支那 今こそ『21世紀の脱亜論』を」Will,2014,4月号)、ひと安心である。
西村氏によると、この「時事新報」社説の結論は「我れは心に於て亜細亜当方の悪友を謝絶するものなり」というもので、「悪友」とは当時の清と朝鮮のことであるという。
さて一世紀余を超えた平成の世の我が国にとっても、中・韓両国はこのところ急速に「悪友」と化し、こちらが「謝絶するものなり」という前に、向うから逸早く「謝絶されんとする」ことで風雲急を告げているのが現状である。
この「御成門新報」が、福沢の時事新報への思い入れを継ぐという志をもって発足するには、またとない試練の時であり、それだけに意義ある時に恵まれたといっても過言ではあるまい。
筆者は、とり敢えずこの瓦版の鼓笛隊の足軽の一人として、主として内外メデイアを逍遥しながら、様々の方角から飛んでくる吹き矢を捕まえて検討・考察を任とするものだが、発刊の頃の天候は黄砂の舞う曇り空か、それとも澄み切った青空か、予断を許さないように思える。
今日の「脱亜」の前提条件としての日本v中国・韓国関係は100年前とは大きく変化しているからである。この変化の主要因は、「当方」たる我が国の「脱亜」=近代化が辿った過去100年の道筋についての「歴史認識」をめぐる熾烈極まりない亀裂の台頭と拡大である。筆者は特に、この亀裂が内v外の亀裂に加えて、さらにより深刻な亀裂が国内に存在することであり、加えてむしろ国内における言論のギャップが、内外の言論ギャップより大きいことに注目したい。つまり、国内における獅子身中の虫(a snake in one’s bosom)の存在である。
特に最近数ヶ月の間に、このギャップの急激な拡大は目を覆わんばかりといっても過言ではない。今週(2014年2月第3週)発刊の2,3の週間誌は、示し合せたかのように、嫌中・嫌韓、憎中、憎韓のオンパレードである。
これに対し、嫌日、憎日の某日刊紙(2月11日付)は「売れるから『嫌中憎韓』‐書店に専用棚 週刊誌、何度も扱う」との大見出しで、「『嫌中憎韓』が出版界のトレンドになりつつある。ベストセラーリストには韓国や中国を非難する作品が並び、週刊誌も両国を揶揄(やゆ)する見出しが目立つ。東京神保町の大手 三省堂書店。一階レジの最も目立つコーナーの刺激的な帯のついた新書が並ぶ」と報じ、ヘイト・スピーチとして糾弾するに至った。
さらに、安倍内閣によってNHK会長に任命された籾井勝人氏、経営委員に任命された百田尚樹氏、長谷川三千子氏の言論の自由に対する一部メディアの執拗なバッシングは、国内言論の極端な亀裂を象徴している。こちらもヘイト・スピーチの名に値しそうな勢いである。
このような今日の我が国における言論界の亀裂を見ると、現時点における「脱亜」の方向探るべき、「新報」の使命は極めて重要である。
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